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[26172] Re:[26168] 既知からの自由16−1 投稿者:南方 投稿日:2018/10/30(Tue) 15:48  

> 16章−1 [全的な革命]
>
> この本を通じて私達が関わってきた全ては、自分自身の中に、それゆえ自分の生の中に、今のような社会の構成とは一切何の関係もない全的な革命をもたらすことです。今のような社会は、その侵略が防御的であろうと攻撃的であろうと、終わることのない侵略の戦いに明け暮れるぞっとするものです。私達が必要とするものは全く新しい何か ― 精神の中の革命、変容です。古い頭脳はとても関係という人間問題を解決することはできません。古い頭脳とはアジア的、ヨーロッパ的、アメリカ的、またはアフリカ的な頭脳であり、そこで私達が自らに問うているのは脳細胞自体に変容をもたらしことが可能かどうかという事です。
>

精神が変われば脳細胞ももちろん変わります。普通でさえ人間は3ヶ月で細胞が入れ替わるのですから。瞬間的に精神は変われるかもしれませんが脳細胞が変わるかどうかは分かりません。精神よりは時間がかかるのでは?


>  再度自分自身に問いましょう。私達が自分自身をよりよく理解するようになったいま、この残虐で暴力的で無慈悲な世界で ― ますます効率的になりしたがってますます無慈悲になりつつある世界で ― 普通の日常生活を送る人間にとって、外的関係だけではなく、自分の思考、感情、行動と反応のすべての分野に革命をもたらすことができるでしょうか?
>

しかし、現実問題として憎悪嫉妬等の無慈悲を向けられたら相当なストレスです。自分が変わるといっても限界がある。じっと我慢するのだろうか?



>  私達は人間の中の暴力の結果として世界に起こる恐るべきことを、毎日見たり読んだりします。「自分はそれについて何もできない」とか「どうやって世界に影響を与えられるだろうか?」と言うかもしれません。あなたが自分自身の中で暴力的でないなら、あなたが毎日実際に平和な生活 ― 競い合わず、野心的でなく、嫉妬しない生活 ― 敵意を作り出さない生活を送るなら、あなたは世界に途方もない影響を及ぼすことができると私は思います。小さな火は強い炎になることができます。私達は自分の自己中心的な活動によって、自分の偏見、憎悪、国家主義で世界を現在の混沌の状態におとし入れてしまいました。そしてそれについて何もできないと言うとき、自分たち自身の中にある無秩序を避けられないものとして受け入れているのです。私達は世界をばらばらに裂いてしまい、そして私達自身が破壊され、ばらばらにされているなら、私達の世界との関係もまた破壊されるでしょう。しかしもし、私達が行動するとき、全的に行動するなら、その時私達の世界との関係は驚くべき革命を受けるでしょう。
>

Kはどんな生活をしていたのか知りませんが、現代社会でKを読み実践して愛をもってしてもやはり他人はかわらないのです。


>  結局、価値ある動き、深い意義を持つ行為は、どんなものでも私達一人一人から始めなければなりません。私が最初に変わらなければなりません。私が世界との自分の関係の性質と構造を見なければなりません ― そしてまさにその見ることの中に行為があります、それゆえ私は、この世界に生きる人間として、違う性質をもたらし、そしてその性質は、私には宗教的な心の性質であると思われるのです。
>

心から愛の存在を祈り、自分が変容して世界に影響を及ぼそうとしても何かは少し変わるのかもしれないが(それが宗教心か)みんなは相も変わらす競争に明け暮れテレビを見てはらんちきさわぎ。嫌になります、ほんとう。



> (続く)

http://


[26171] Re:[26168] 既知からの自由16−1 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/30(Tue) 15:40  

> 16章−1 [全的な革命]
>
> この本を通じて私達が関わってきた全ては、自分自身の中に、それゆえ自分の生の中に、今のような社会の構成とは一切何の関係もない全的な革命をもたらすことです。今のような社会は、その侵略が防御的であろうと攻撃的であろうと、終わることのない侵略の戦いに明け暮れるぞっとするものです。私達が必要とするものは全く新しい何か ― 精神の中の革命、変容です。古い頭脳はとても関係という人間問題を解決することはできません。古い頭脳とはアジア的、ヨーロッパ的、アメリカ的、またはアフリカ的な頭脳であり、そこで私達が自らに問うているのは脳細胞自体に変容をもたらしことが可能かどうかという事です。


『この本を通じて私達が関わってきた全ては、{自分自身の中に、それゆえ自分の生の中に、}今のような社会の構成とは一切何の関係もない{全的な革命をもたらすことです。}』
 このように基本線が明確にされた。


>  再度自分自身に問いましょう。私達が自分自身をよりよく理解するようになったいま、この残虐で暴力的で無慈悲な世界で ― ますます効率的になりしたがってますます無慈悲になりつつある世界で ― 普通の日常生活を送る人間にとって、外的関係だけではなく、自分の思考、感情、行動と反応のすべての分野に革命をもたらすことができるでしょうか?


再度言葉を尽くして『外的関係だけではなく、自分の思考、感情、行動と反応のすべての分野に革命をもたらすことができるでしょうか?』と問われている。


>  私達は人間の中の暴力の結果として世界に起こる恐るべきことを、毎日見たり読んだりします。「自分はそれについて何もできない」とか「どうやって世界に影響を与えられるだろうか?」と言うかもしれません。あなたが自分自身の中で暴力的でないなら、あなたが毎日実際に平和な生活 ― 競い合わず、野心的でなく、嫉妬しない生活 ― 敵意を作り出さない生活を送るなら、あなたは世界に途方もない影響を及ぼすことができると私は思います。小さな火は強い炎になることができます。私達は自分の自己中心的な活動によって、自分の偏見、憎悪、国家主義で世界を現在の混沌の状態におとし入れてしまいました。そしてそれについて何もできないと言うとき、自分たち自身の中にある無秩序を避けられないものとして受け入れているのです。私達は世界をばらばらに裂いてしまい、そして私達自身が破壊され、ばらばらにされているなら、私達の世界との関係もまた破壊されるでしょう。しかしもし、私達が行動するとき、全的に行動するなら、その時私達の世界との関係は驚くべき革命を受けるでしょう。


いったい私が世界に対して何ができるだろうか?という無力感に対して、クリシュナムルティは『あなたが自分自身の中で暴力的でないなら、あなたが毎日実際に平和な生活 ― 競い合わず、野心的でなく、嫉妬しない生活 ― 敵意を作り出さない生活を送るなら、あなたは世界に途方もない影響を及ぼすことができると私は思います。小さな火は強い炎になることができます。』と根本的な変化の経路を述べてくれている。あなたが毎日実際に『平和な生活 ― 競い合わず、野心的でなく、嫉妬しない生活 ― 敵意を作り出さない生活』を送ることができるか否かが全てです。しかしここに意を注がないなら世界の前途は暗黒の中にあるでしょう。それをはっきり感じます。


>  結局、価値ある動き、深い意義を持つ行為は、どんなものでも私達一人一人から始めなければなりません。私が最初に変わらなければなりません。私が世界との自分の関係の性質と構造を見なければなりません ― そしてまさにその見ることの中に行為があります、それゆえ私は、この世界に生きる人間として、違う性質をもたらし、そしてその性質は、私には宗教的な心の性質であると思われるのです。


その変化の行為の起点はこの世界の構造を{見る}ことにあります。それがもたらす違う性質は宗教的な心の性質―これは次の段落を読みましょう。

> (続く)


[26170] 遺伝子 投稿者:無明 投稿日:2018/10/30(Tue) 09:26  

>そこで私達が自らに問うているのは脳細胞自体に変容をもたらしことが可能かどうかという事です。

それには人間の持つ遺伝子(DNA)のことを、よく調べる必要があるでしょう。遺伝子のスイッチをオフからオンにしなければ、本当の意味での変容は起きません。


遺伝子の研究はクリシュナムルティが生きてた時代と比べて格段に進歩している。



[26169] 宗教的な心 投稿者:無明 投稿日:2018/10/30(Tue) 09:14  

>結局、価値ある動き、深い意義を持つ行為は、どんなものでも私達一人一人から始めなければなりません。私が最初に変わらなければなりません。

変わる?誰が。
結局、誰も変わりやしなかった。ですか。


>私が世界との自分の関係の性質と構造を見なければなりません ― そしてまさにその見ることの中に行為があります、それゆえ私は、この世界に生きる人間として、違う性質をもたらし、そしてその性質は、私には宗教的な心の性質であると思われるのです。

宗教的な心?
既成宗教を否定する唯物論者のあなたが、「宗教的な心」とはよく言いますね。
神、仏、ブラフマンを思考の産物とみなすあなたには、「宗教的な心」などわかろうはずがない。

いいですか。
「見る」ということだけでは人は変わりません。
どのように見てるのか、どのように気づいているか、という姿勢によって、宗教的な心は見出されるのです。それが異質のエネルギー、「愛」の出現です。

そのことを新しい芽氏から教わりました。クリシュナムルティの足らないところを補ってくれました。



[26168] 既知からの自由16−1 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/30(Tue) 07:33  

16章−1 [全的な革命]

この本を通じて私達が関わってきた全ては、自分自身の中に、それゆえ自分の生の中に、今のような社会の構成とは一切何の関係もない全的な革命をもたらすことです。今のような社会は、その侵略が防御的であろうと攻撃的であろうと、終わることのない侵略の戦いに明け暮れるぞっとするものです。私達が必要とするものは全く新しい何か ― 精神の中の革命、変容です。古い頭脳はとても関係という人間問題を解決することはできません。古い頭脳とはアジア的、ヨーロッパ的、アメリカ的、またはアフリカ的な頭脳であり、そこで私達が自らに問うているのは脳細胞自体に変容をもたらしことが可能かどうかという事です。

 再度自分自身に問いましょう。私達が自分自身をよりよく理解するようになったいま、この残虐で暴力的で無慈悲な世界で ― ますます効率的になりしたがってますます無慈悲になりつつある世界で ― 普通の日常生活を送る人間にとって、外的関係だけではなく、自分の思考、感情、行動と反応のすべての分野に革命をもたらすことができるでしょうか?

 私達は人間の中の暴力の結果として世界に起こる恐るべきことを、毎日見たり読んだりします。「自分はそれについて何もできない」とか「どうやって世界に影響を与えられるだろうか?」と言うかもしれません。あなたが自分自身の中で暴力的でないなら、あなたが毎日実際に平和な生活 ― 競い合わず、野心的でなく、嫉妬しない生活 ― 敵意を作り出さない生活を送るなら、あなたは世界に途方もない影響を及ぼすことができると私は思います。小さな火は強い炎になることができます。私達は自分の自己中心的な活動によって、自分の偏見、憎悪、国家主義で世界を現在の混沌の状態におとし入れてしまいました。そしてそれについて何もできないと言うとき、自分たち自身の中にある無秩序を避けられないものとして受け入れているのです。私達は世界をばらばらに裂いてしまい、そして私達自身が破壊され、ばらばらにされているなら、私達の世界との関係もまた破壊されるでしょう。しかしもし、私達が行動するとき、全的に行動するなら、その時私達の世界との関係は驚くべき革命を受けるでしょう。

 結局、価値ある動き、深い意義を持つ行為は、どんなものでも私達一人一人から始めなければなりません。私が最初に変わらなければなりません。私が世界との自分の関係の性質と構造を見なければなりません ― そしてまさにその見ることの中に行為があります、それゆえ私は、この世界に生きる人間として、違う性質をもたらし、そしてその性質は、私には宗教的な心の性質であると思われるのです。

(続く)


[26167] Re:[26166] [26160] [26149] 根本的革命 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/30(Tue) 06:48  

> > > Kはあらゆる人が根本的革命を果たしていないために世界の混乱があると言っているが本当だろうか?マントラ等を使い変化した人が混乱を作り出しているのではなくいわゆるそれらに全く関心がない人々が混乱を作り出しているのではないか?
> >
> > Kの言う事をよく理解(知的理解でなく)している人は混乱を鎮める力の一部です。しかしそのほかに大勢の、Kの名も知らないがよく見、聞き、知覚する人がいます。それも混乱を鎮める人たちです。
>
>
> 体とは頭と対になっている言語感覚。それよりも身体と使った方がしっくりくる。
> 「知的理解」ではないということは身体でわかるということで頭の中で実践するというだけではない。

はい。
Kの名も知らない人でよく見、聞き、知覚する人は、Kの言うことが自ずと実現しているわけです。
Kは言語伝達でその全貌うを明らかにしようとしてくれました。そこにはこの問題の理解に対する大きなパッションがいるのです。そこに困難があるのではありますが。


[26166] Re:[26160] [26149] 根本的革命 投稿者:南方 投稿日:2018/10/29(Mon) 15:14  

> > Kはあらゆる人が根本的革命を果たしていないために世界の混乱があると言っているが本当だろうか?マントラ等を使い変化した人が混乱を作り出しているのではなくいわゆるそれらに全く関心がない人々が混乱を作り出しているのではないか?
>
> Kの言う事をよく理解(知的理解でなく)している人は混乱を鎮める力の一部です。しかしそのほかに大勢の、Kの名も知らないがよく見、聞き、知覚する人がいます。それも混乱を鎮める人たちです。


体とは頭と対になっている言語感覚。それよりも身体と使った方がしっくりくる。
「知的理解」ではないということは身体でわかるということで頭の中で実践するというだけではない。

http://


[26165] Re:[26163] [26161] [26158] [26155] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/29(Mon) 14:54  

> > 終わりの3行だけでなく中間にも感じたことを書きました。いずれも該当する箇所のKの文章を引用してあります。
>
> 今見ましたが、コメントの部分は > マークはいらないのではないですか?
>
> > を入れると、全部クリシュナムルティの文章と見てしまう。

本文でなく、私がKの文の一部を引用した時は、全角の引用符を頭につけ、終わりは−−で括っています。どの文から私が感じたかを明白にする気になった時そうしています。


[26164] Re:[26159] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/29(Mon) 14:40  

> せっかく覚者の言葉を掲げても、感想を述べるだけじゃ一歩も先に進めない。これでは学会の集まりと同じ。会長の言葉に対する感想を述べて終わり。終わると読経。

まだ会長(K)の話は1章残っているのだが。随分煮詰まってきたとはいえ、全体像がまだ見えないのに何を論じるというのだ?

> つまりは聖人君子の言葉に酔うだけで終わる。ああなりたいと。願望のみ。いわばクリシュナムルティ同好会という感じ。今のクリシュナムルティの会がそうです。趣味の集まり。本を読むことが好きな人の集まり。
> KB会は一歩も踏み込んで、人生の問題点全般を話し合う。
> このような会は主催者の力量に委ねられます。

では主催者の力量のあるお好きな会にどうぞ。


[26163] Re:[26161] [26158] [26155] 無題 投稿者:無明 投稿日:2018/10/29(Mon) 14:26  

> > > 25148ですが、二重投稿だと一瞬思いましたが、(全て>だったので) 終わりの3行が感想ですか。
> >
> > せっかくクリシュナムルティの文献を掲げても、各自感想を述べるということで、終わりですか?
>
>
> 終わりの3行だけでなく中間にも感じたことを書きました。いずれも該当する箇所のKの文章を引用してあります。

今見ましたが、コメントの部分は > マークはいらないのではないですか?

> を入れると、全部クリシュナムルティの文章と見てしまう。


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