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[25164] 見ること―5 投稿者:ゴト 投稿日:2018/03/02(Fri) 16:28  

ある時、仕事で別のグループの長と二人で打ち合わせの場にいました。相手から何か要望があるという事です。話しを聴くと、ある作業をやる必要があるが誰も経験がない。それについては私の班がいつもやっていることであり、それでその部分だけをやってくれないかという事でした。ただし一回こっきりでなく、かなりの期間続くという事でした。

私の反応は大した仕事ではないし引き受けていいのですが、それをそれを行う作業者の長が何というかでした。確かに上部に通すほどの作業ではないのですが、筋を通してくれと言われると厄介なことになります。それで私は咄嗟に答えられず、渋りました。相手は状況を説明しましたが、ピンとこず、押し問答になりかけたとき、相手が大きな声で、「私が直接相談に来ているのですよ」と言いました。私はそれでようやく相手の事情になかなかのところがあるのがぴんと来て、一方自分が厄介になるかもしれないとの配慮ばかりしていたことに気づき、気分が一新して締まり、引き受けました。そんなに長く問答したわけでなく、短い時間で話はついたのですが、相手の班長とは気持ちが通じての淡交がありました。

自己中心的は自分の都合、希望するところ、やり易さなどが次々に心に浮かぶことでわかります。それで全体が目に入らないのです。この心の在り方の差はわかるようになります。
ちょっと話が変わりますが、知的好奇心は厄介です。高級のものから低級のものまで、魅惑され心を占有されることになります。ここはまだよくわからないところです。

そこでも一つ死の感覚という事に触れておきます。精神的に死ぬという意味のです。
私のやっていた仕事は大きく膨らんで、研究所、現場、メーカーが乗り出すやや大きなプロジェクトになっていました。私はだが肝心のところがどうしてもうまくいかず、あるレベルで実用になっても、今一つ十分に解決できないと思って、ついに上司のところに行ってその旨話しました。

上司は「この仕事は今や我々の手を離れて大きな組織全体の仕事となって、各方面の人が必死に各々の場で取り組んでいる。今それをどうすることもできず、見守っていくほか何もできない」と言いました。私は今やそれはやり始めの時と違い、自分で止めたり、舵を切ることなど出来ないものになって動いているのだとわかりました。

それからの日々は日常的な用事を少しばかり果たすほか、まな板の上のコイのように、つまり精神的に死んでじたばたは一切せず、事態の推移を見守る日々が続きました。
いつ大きなサメががっぽりと口を開けてすべてを終わりにするかと思っていましたが、何事も起きずに推移し、一時代を劃して次の時代と移っていきました。
死んで見ている受動性に対し、能動性って何だろうと改めて思います。

これで見ることは終わりとします。どうもご静聴ありがとうございました。


[25163] お金がなぜ人格を養うか。 投稿者:中西 投稿日:2018/03/02(Fri) 04:50  

喧嘩をしないと人間性は深まらないんじゃないでしょうか。企業ってのも喧嘩をさせないシステムに思えます。不生産的な人間を排除してしまうと思うんです。


[25162] Re:[25160] [25153] [25151] [25145] [25143] [25142] [25141] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/03/01(Thu) 23:13  

> > 「人間は言語ゲームによって約定の体系として世界を構成し、そのことで初めて「力の論理」が貫徹する動物性から離脱した」ーー 竹田青嗣「欲望論」第1巻より引用
> >
> > フムフムと私は聞いて、では人間世界で、哲学は何をしようとしているかという目で哲学を観ます。それは人間世界の暴力原理の縮減、現実世界が持つ「現実論理」に対抗するものとなるべきであるとのことです。実際にははっきりした対立根拠をまったく提供しえないでいるのが現状のようです。
> >
> > そこで人間の持っている始原のエネルギーの性質と言語ゲームの影響が、どのように人類の普遍的理解になっていくか、そこらに関心があって見ています。
> >
> > これは始原のエネルギー(力or衝動?)と人間の精神の言語を通じての関わり具合なのでしょうか?
>
>
> そうですね。
>
> 言葉づかいは人を変えて、そして、世界を変えるのです。


この間テレビで見たと思いますが、いろいろ紛争はあるが先進国の間ではかなり長く戦争がなく、人類は平和を享受している。今ある紛争は発展途上国の民族・部族的のものが多く、文明、知識の普及の効果と寄与に対して無視できないようなものがあると聞いたように思います。

精神的な事柄の変化というものは計量しがたい面があって難しいですね。つまらないことですが、昔はいい紳士が、軽く飲んですいた道路を車でぶっ飛ばすのは、何事にも代えがたい快感ですねと言っていました。今では考えられないことですね。


[25161] Re:[25159] [25158] [25157] [25156] 見ること―4 投稿者:ゴト 投稿日:2018/03/01(Thu) 22:22  

> > > > その日、私は食器を洗っていました。玲瓏とした気分ではなく、妻と口争いをして、むしゃくしゃしているというよりはいつもそんなふうになってしまう事が悲しくて、黙々として洗っていたのです。その頭の中に突然ゴキブリの幻像が現れたのです。リアルに、大きく、くっきりと。丈夫で機敏で頑丈そうな黒褐色の羽根と身体、冷徹な眼、それは一点の感情も交えず、無慈悲にことを処理する。それは思考なのです。それが私の頭に共存している。「嫌だ。こんなやつとは一刻たりと一緒にいられない。消えろ!出て行け。」
> > > >
> > > > だが幻像はびくともせず、そのまましっかりとそこにいるのです。私の心は悲鳴を上げながらその幻像を何とかしようと心的エネルギーを振り絞っているのですが、どうすることもできず時がたちます。その時ふっと心に「これが葛藤の知覚なのか?」という思いが浮かびました。その瞬間ゴキブリの幻像はきれいさっぱりと消え、そこには食器を黙々と洗っている自分がいるだけでした。不遜な思考がいつもの調子で、葛藤はとっくに克服したはずなのにとつぶやきました。
> > > >
> > > > ヘレンケラーが水道の蛇口からの水を掌に受けながら、家庭教師のサリバン女史に手のひらにウォーターと書いてもらって万物に名前があると悟ったように、ありふれたものと違って、実際の感覚と名前が結びつかないことがあるのですね。簡単にラベルを張り、実物を言葉に置き換えて物事を処理することをKは問題にしますが、そして、そういうこともありますが、言葉を介して人類の知恵に結び付く意味も又あるのでしょうか。
> > > >
> > > > 最後に、以上は私の創作話ではなく、実際に遭ったことです。不思議なことですが、とにかくその後、このような葛藤の知覚に遭ったことはありません。またこのような幻像を見ることは、それ以前もですがその後もありません。 (続く)
> > > >
> > > > なお明日は休みます。
> > >
> > >
> > >  心的エネルギーを振り絞っているのですね・・。
> > >
> > >  クリシュナムルティは努力や意志の力を否定的に見ていますが、心的エネルギーの振り絞りは、講話(動画)や対話(動画)の中で、ギュッとしたジェスチャーや語気で、その心的エネルギーの振り絞りを示すことが多々あります。
> > >
> > >  ゴキブリに対しては、努力や意志の力なしに、心的エネルギーの振り絞りが起こるのですね・・。
> >
> >
> > 葛藤における心的エネルギ−の発揮はエネルギーの無駄遣いなんですよ。
> > そしてそこにゴキブリ排除という譲れない理想の固執があります。これは国家的規模での現実論理としても姿を現します。葛藤、排除は錯覚の固執成長の結果です。
>
>
>  ゴキブリに対しての努力や意志の力なしの、心的エネルギーの振り絞りは、これが起こらなければ、葛藤への気づきがなかったかもしれない・・。という意味で書きました。
>
>  生きる生の中で、意図せず、プロセスが進む様を感じていました。。
>
>  葛藤によるエネルギーの浪費がない場において、浪費されなかったエネルギーは、癒し(浄化)を引き起こすのかもしれませんね。。


葛藤の感覚を思い出したのですが、それはちょうどタオルをぎゅっと絞るような感じで、自分自身をねじりきろうとするような感じだったです。

自分の心の状態がシンボルというか、表象というか、抽象的に知覚されるのは、言葉になっていなくても現象の理解・対処ができるという事につながります。そういう事をもう少し書いてみます。


[25160] Re:[25153] [25151] [25145] [25143] [25142] [25141] 無題 投稿者:南方 投稿日:2018/03/01(Thu) 13:22  

> > > > > > この掲示板に書き込むことが、果たして主体性があるのか疑問に思う。何かに突き動かされて書き込むこともあるし、或いは自分の中で熟成されたものが突き動かしているのかもしれない。
> > > > > >
> > > > > > 人間以外は機械的かと観察すると、それは私の何かに呼応するという意味で機械的であり、また生かされていると考えると主体的である。
> > > > > >
> > > > > > ということが言えませんか?
> > > > >
> > > > > 主体的に、能動的に、あるいは受動的にとかの言葉は難しい言葉ですね。幸せになろうとするのと果報は寝て待てのようなもんかな。
> > > > >
> > > >
> > > > 違います。僕のはもっと深い意味があります。
> > > >
> > > >
> > > > > しかし生きるという事は能動性や主体性を連想させるが、機械的?思考するとわけがわからないという事だろうか。
> > > >
> > > >
> > > > わけをわからなくしているのはゴトさんかな。
> > >
> > > ええ、そのようです。言葉を使って文章にする瞬間、それを固定的なものとして受け取る癖が自分にはあるようです。そして区別が固定化してしまう感じです。しかしそれは流動的なことであって絶対という事がないと言うと、すべての事柄が相対化されてしまいます。
> > >
> > > 事実を見て言う時、怪しげな言語を使って話しても言い切ることができます。だが、哲学がこの頃気になっていて、確固としたものとして成立しうるか気になります。余計なお世話かもしれませんが。気になる哲学者の本を読んでいるので。
> >
> > 定めがないからこそこの世は壮大だと古人が言っています。兼好法師?だったかな。
>
> 「人間は言語ゲームによって約定の体系として世界を構成し、そのことで初めて「力の論理」が貫徹する動物性から離脱した」ーー 竹田青嗣「欲望論」第1巻より引用
>
> フムフムと私は聞いて、では人間世界で、哲学は何をしようとしているかという目で哲学を観ます。それは人間世界の暴力原理の縮減、現実世界が持つ「現実論理」に対抗するものとなるべきであるとのことです。実際にははっきりした対立根拠をまったく提供しえないでいるのが現状のようです。
>
> そこで人間の持っている始原のエネルギーの性質と言語ゲームの影響が、どのように人類の普遍的理解になっていくか、そこらに関心があって見ています。
>
> これは始原のエネルギー(力or衝動?)と人間の精神の言語を通じての関わり具合なのでしょうか?


そうですね。

言葉づかいは人を変えて、そして、世界を変えるのです。


[25159] Re:[25158] [25157] [25156] 見ること―4 投稿者:宮啓 投稿日:2018/02/28(Wed) 20:19  

> > > その日、私は食器を洗っていました。玲瓏とした気分ではなく、妻と口争いをして、むしゃくしゃしているというよりはいつもそんなふうになってしまう事が悲しくて、黙々として洗っていたのです。その頭の中に突然ゴキブリの幻像が現れたのです。リアルに、大きく、くっきりと。丈夫で機敏で頑丈そうな黒褐色の羽根と身体、冷徹な眼、それは一点の感情も交えず、無慈悲にことを処理する。それは思考なのです。それが私の頭に共存している。「嫌だ。こんなやつとは一刻たりと一緒にいられない。消えろ!出て行け。」
> > >
> > > だが幻像はびくともせず、そのまましっかりとそこにいるのです。私の心は悲鳴を上げながらその幻像を何とかしようと心的エネルギーを振り絞っているのですが、どうすることもできず時がたちます。その時ふっと心に「これが葛藤の知覚なのか?」という思いが浮かびました。その瞬間ゴキブリの幻像はきれいさっぱりと消え、そこには食器を黙々と洗っている自分がいるだけでした。不遜な思考がいつもの調子で、葛藤はとっくに克服したはずなのにとつぶやきました。
> > >
> > > ヘレンケラーが水道の蛇口からの水を掌に受けながら、家庭教師のサリバン女史に手のひらにウォーターと書いてもらって万物に名前があると悟ったように、ありふれたものと違って、実際の感覚と名前が結びつかないことがあるのですね。簡単にラベルを張り、実物を言葉に置き換えて物事を処理することをKは問題にしますが、そして、そういうこともありますが、言葉を介して人類の知恵に結び付く意味も又あるのでしょうか。
> > >
> > > 最後に、以上は私の創作話ではなく、実際に遭ったことです。不思議なことですが、とにかくその後、このような葛藤の知覚に遭ったことはありません。またこのような幻像を見ることは、それ以前もですがその後もありません。 (続く)
> > >
> > > なお明日は休みます。
> >
> >
> >  心的エネルギーを振り絞っているのですね・・。
> >
> >  クリシュナムルティは努力や意志の力を否定的に見ていますが、心的エネルギーの振り絞りは、講話(動画)や対話(動画)の中で、ギュッとしたジェスチャーや語気で、その心的エネルギーの振り絞りを示すことが多々あります。
> >
> >  ゴキブリに対しては、努力や意志の力なしに、心的エネルギーの振り絞りが起こるのですね・・。
>
>
> 葛藤における心的エネルギ−の発揮はエネルギーの無駄遣いなんですよ。
> そしてそこにゴキブリ排除という譲れない理想の固執があります。これは国家的規模での現実論理としても姿を現します。葛藤、排除は錯覚の固執成長の結果です。


 ゴキブリに対しての努力や意志の力なしの、心的エネルギーの振り絞りは、これが起こらなければ、葛藤への気づきがなかったかもしれない・・。という意味で書きました。

 生きる生の中で、意図せず、プロセスが進む様を感じていました。。

 葛藤によるエネルギーの浪費がない場において、浪費されなかったエネルギーは、癒し(浄化)を引き起こすのかもしれませんね。。


[25158] Re:[25157] [25156] 見ること―4 投稿者:ゴト 投稿日:2018/02/28(Wed) 06:12  

> > その日、私は食器を洗っていました。玲瓏とした気分ではなく、妻と口争いをして、むしゃくしゃしているというよりはいつもそんなふうになってしまう事が悲しくて、黙々として洗っていたのです。その頭の中に突然ゴキブリの幻像が現れたのです。リアルに、大きく、くっきりと。丈夫で機敏で頑丈そうな黒褐色の羽根と身体、冷徹な眼、それは一点の感情も交えず、無慈悲にことを処理する。それは思考なのです。それが私の頭に共存している。「嫌だ。こんなやつとは一刻たりと一緒にいられない。消えろ!出て行け。」
> >
> > だが幻像はびくともせず、そのまましっかりとそこにいるのです。私の心は悲鳴を上げながらその幻像を何とかしようと心的エネルギーを振り絞っているのですが、どうすることもできず時がたちます。その時ふっと心に「これが葛藤の知覚なのか?」という思いが浮かびました。その瞬間ゴキブリの幻像はきれいさっぱりと消え、そこには食器を黙々と洗っている自分がいるだけでした。不遜な思考がいつもの調子で、葛藤はとっくに克服したはずなのにとつぶやきました。
> >
> > ヘレンケラーが水道の蛇口からの水を掌に受けながら、家庭教師のサリバン女史に手のひらにウォーターと書いてもらって万物に名前があると悟ったように、ありふれたものと違って、実際の感覚と名前が結びつかないことがあるのですね。簡単にラベルを張り、実物を言葉に置き換えて物事を処理することをKは問題にしますが、そして、そういうこともありますが、言葉を介して人類の知恵に結び付く意味も又あるのでしょうか。
> >
> > 最後に、以上は私の創作話ではなく、実際に遭ったことです。不思議なことですが、とにかくその後、このような葛藤の知覚に遭ったことはありません。またこのような幻像を見ることは、それ以前もですがその後もありません。 (続く)
> >
> > なお明日は休みます。
>
>
>  心的エネルギーを振り絞っているのですね・・。
>
>  クリシュナムルティは努力や意志の力を否定的に見ていますが、心的エネルギーの振り絞りは、講話(動画)や対話(動画)の中で、ギュッとしたジェスチャーや語気で、その心的エネルギーの振り絞りを示すことが多々あります。
>
>  ゴキブリに対しては、努力や意志の力なしに、心的エネルギーの振り絞りが起こるのですね・・。


葛藤における心的エネルギ−の発揮はエネルギーの無駄遣いなんですよ。
そしてそこにゴキブリ排除という譲れない理想の固執があります。これは国家的規模での現実論理としても姿を現します。葛藤、排除は錯覚の固執成長の結果です。


[25157] Re:[25156] 見ること―4 投稿者:宮啓 投稿日:2018/02/27(Tue) 21:30  

> その日、私は食器を洗っていました。玲瓏とした気分ではなく、妻と口争いをして、むしゃくしゃしているというよりはいつもそんなふうになってしまう事が悲しくて、黙々として洗っていたのです。その頭の中に突然ゴキブリの幻像が現れたのです。リアルに、大きく、くっきりと。丈夫で機敏で頑丈そうな黒褐色の羽根と身体、冷徹な眼、それは一点の感情も交えず、無慈悲にことを処理する。それは思考なのです。それが私の頭に共存している。「嫌だ。こんなやつとは一刻たりと一緒にいられない。消えろ!出て行け。」
>
> だが幻像はびくともせず、そのまましっかりとそこにいるのです。私の心は悲鳴を上げながらその幻像を何とかしようと心的エネルギーを振り絞っているのですが、どうすることもできず時がたちます。その時ふっと心に「これが葛藤の知覚なのか?」という思いが浮かびました。その瞬間ゴキブリの幻像はきれいさっぱりと消え、そこには食器を黙々と洗っている自分がいるだけでした。不遜な思考がいつもの調子で、葛藤はとっくに克服したはずなのにとつぶやきました。
>
> ヘレンケラーが水道の蛇口からの水を掌に受けながら、家庭教師のサリバン女史に手のひらにウォーターと書いてもらって万物に名前があると悟ったように、ありふれたものと違って、実際の感覚と名前が結びつかないことがあるのですね。簡単にラベルを張り、実物を言葉に置き換えて物事を処理することをKは問題にしますが、そして、そういうこともありますが、言葉を介して人類の知恵に結び付く意味も又あるのでしょうか。
>
> 最後に、以上は私の創作話ではなく、実際に遭ったことです。不思議なことですが、とにかくその後、このような葛藤の知覚に遭ったことはありません。またこのような幻像を見ることは、それ以前もですがその後もありません。 (続く)
>
> なお明日は休みます。


 心的エネルギーを振り絞っているのですね・・。

 クリシュナムルティは努力や意志の力を否定的に見ていますが、心的エネルギーの振り絞りは、講話(動画)や対話(動画)の中で、ギュッとしたジェスチャーや語気で、その心的エネルギーの振り絞りを示すことが多々あります。

 ゴキブリに対しては、努力や意志の力なしに、心的エネルギーの振り絞りが起こるのですね・・。


[25156] 見ること―4 投稿者:ゴト 投稿日:2018/02/27(Tue) 21:02  

その日、私は食器を洗っていました。玲瓏とした気分ではなく、妻と口争いをして、むしゃくしゃしているというよりはいつもそんなふうになってしまう事が悲しくて、黙々として洗っていたのです。その頭の中に突然ゴキブリの幻像が現れたのです。リアルに、大きく、くっきりと。丈夫で機敏で頑丈そうな黒褐色の羽根と身体、冷徹な眼、それは一点の感情も交えず、無慈悲にことを処理する。それは思考なのです。それが私の頭に共存している。「嫌だ。こんなやつとは一刻たりと一緒にいられない。消えろ!出て行け。」

だが幻像はびくともせず、そのまましっかりとそこにいるのです。私の心は悲鳴を上げながらその幻像を何とかしようと心的エネルギーを振り絞っているのですが、どうすることもできず時がたちます。その時ふっと心に「これが葛藤の知覚なのか?」という思いが浮かびました。その瞬間ゴキブリの幻像はきれいさっぱりと消え、そこには食器を黙々と洗っている自分がいるだけでした。不遜な思考がいつもの調子で、葛藤はとっくに克服したはずなのにとつぶやきました。

ヘレンケラーが水道の蛇口からの水を掌に受けながら、家庭教師のサリバン女史に手のひらにウォーターと書いてもらって万物に名前があると悟ったように、ありふれたものと違って、実際の感覚と名前が結びつかないことがあるのですね。簡単にラベルを張り、実物を言葉に置き換えて物事を処理することをKは問題にしますが、そして、そういうこともありますが、言葉を介して人類の知恵に結び付く意味も又あるのでしょうか。

最後に、以上は私の創作話ではなく、実際に遭ったことです。不思議なことですが、とにかくその後、このような葛藤の知覚に遭ったことはありません。またこのような幻像を見ることは、それ以前もですがその後もありません。 (続く)

なお明日は休みます。


[25155] Re:[25154] 見ること―3 投稿者:宮啓 投稿日:2018/02/27(Tue) 11:54  

> 私はなくなった母を尊敬していましたが、孝行息子というよりはわがままな生意気息子でしたでしょう。その母は私の家に引き取るまではしばらくの間近所のアパートにいましたが、その時の話です。
>
> 或る日訪ねていくと、何かから見つけたらしく、足湯の電気器具を買ってきてほしいと言われたのです。当時私はまだ勤めていたのだろうか、まあ話はわかるが面倒くさいなというのが正直な感想で、不機嫌になりました。
>
> しばらくたって買いに行ったのですが、物はさほど大きくも重くもないのですが丸くかさばって、持ちにくい物でした。歩いて4,50分の距離があり、タクシーで運ぶのがいいのですがケチなので、抱えて歩いて持っていこうとしました。歩くのは好きなのです。
>
> だがすぐに後悔しました、持ちにくく、持ち重りがして結構大変だったのです。「なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ!なんでも頼めばいいと思ってんだから」とか、荷物を持ち直すたびに不機嫌と愚痴、恨み言が頭に浮かびます。その時ふと「見てみよう」という事が頭に浮かびました。そしてすぐ見ることに入りました。見ると思考が止まるという事とは全く違ったことが起きたのです。
>
> そのとき、愚痴、繰り言はやみませんでした。短いが時間をおいて、その愚痴が繰り返し出てきます。しかし、頭の中に響く口調は微妙に変化しています。不機嫌な感情は全く消えていて、荷物の持ちにくさと疲れ、苦痛も全くありません。感じません。たぶん20分ぐらいしてその愚痴は止み、それとともに街が目に映り、居る場所からどれくらい時間がたったかわかりました。それから母のいるところまでまだ少々ありましたが、不満や持ちにくさは3なく、母にあってからもその不満は一切出ず、解消したのだと思います。
>
> これは不思議な体験でしたが、向こう(この場合は不満・愚痴)に語らせて聴くという事は初めてでした。そしてそれに語らせて聴くという事はその傷orしこりの解消(癒し?)でもあるようです。 (続く)


 その思考(マイナス思考)を抑圧したりコントロールして止めることもなく、あるいは、「これも一つの恩返しだ・・」「これまで世話をして貰ったのだから、これくらいの孝行はやってもよいのではないか・・」等々の合理化を行うことなく、「見る」。その思考(マイナス思考)を止めよう、止めて気分を楽にしたいという動機もなく、その感情を伴った思考がどうなるのか中立的に観察する。

 そこに想定外の変容が起こる。癒やし(浄化)を伴う変容。クリシュナムルティが述べるところの「根源的な変容」のひとつが、これを指しているのかもしれない。


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