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[23952] Re:[23949] [23948] [23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/10(Sat) 13:39  

> > このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?
>
>
>  しがみついているものランキング。
>
>  1.個体の存続・発展
>  2.個体の存続・発展に有益な事物(妻子・仕事・クリシュナムルティ・知識)
>

ここを検討したいと思います。なぜなら、これは個人的でなく人類の執着ともいえる代表的な執着かもしれないからです。

執着の裏にはそれを行えない恐怖があるかと思います。つまり、生活にある程度の余裕がないと自分のしたいことが、多くはささやかなものですが、できなくなります。その時あるのは無秩序のみではないでしょうか?

そこで私は俗な言い方しか思いつきませんが、衣食足って礼節を知るです。社会はこれを目指すべきでしょう。

ところが政治家は大きな権力を握り、それで崇高?な目標を掲げて実現しようとするから、おかしなことになります。

それでうっかりしていると今のささやかなゆとりもなくなるという恐怖があり、それを忘れて見ていることが途轍もない困難になるのかな。見ることがサガ(性)になっているという事は本来自然なことであるのですが。

見るという事は哲学的卓見を得ることではなく、恐怖などを忘れて見ているという事だけで、成果は問いません。それだけで恐怖はすでにわきにやられています。光があるのです。


[23951] Re:[23944] [23943] [23935] 意識について(2) 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/10(Sat) 10:51  

> とても興味深く読みました。意識をどこかに集めると、特別の状態が現れる。たぶん火事場の馬鹿力などはそういう事でしょうね。注意の一つの現れ方にそういう事がある。
>
> ところで普通の人間の表面意識、これはだれでも知っていますがそれに限って話をすると、私は思考をある程度深める(熟考する)ためには意識を注ぐことが必要な気がします。

 それは「考え抜く」という表現でいいのではないですか。考え抜くとはどういうことかは別なテーマですが。

>今の科学や文明、文化が発達するには、このしっかりした思考が不可欠だと思います。

 おっしゃるとおりです。

> たわいないおしゃべりは無意識にもできますが。

 考え抜くというのは、とてもエネルギーを使うことなので、たわいないおしゃべりも必要です。息抜きとして。無意識というのはエネルギーは入りません。
思考の休息。考え続けるのは人間できないようで。脳が自然とストップかけるようです。たいていの学者は「思考の間」には、注目していません。そこをクローズアップしたのがクリシュナムルティ。
>
> そしてこの機能は動物になく、人間が言葉と共に獲得した強力な新機能です。それが物質的実用面に関係している限りは問題ないが、それは実際に効果が確かめることができ、間違っていることは捨てられていくからですが、そうでない分野があります。

 心理ですか。
>
> それはひっくるめて心理的(思考)と言われますが、その内容と、それがなぜ間違っているかはよくわかっていません。どうもそれに意識、注意はあまり向けられないように思います。

 権威、プライド、優越感、立ち場。差別意識。実用的な意識と微妙にからまりあっている。国会の答弁。先に立つのは何でも保身。その上での実務的な答弁。野次を飛ばされると、途端ムキになる。
 官僚が作った答弁を読むだけなら、問題が起きません。
>
> いや、向けられるのですが、自分の思いを貫徹するために意識が向くので、その心理的思考を検討する方向には向かない。勝者と敗者に分かれ、勝者は相手が悪いのだとし、敗者は恨みや憎しみを相手に抱くのでは仕方ないです。どうするか。

 思考を見るというより、思考を聞くという表現がいいですね。思考も音声みたいまもの。
>
> 自分の思いを貫徹するのではなく、何が起こっているかに意識を向ける。これが見る、聴く、知覚すると言われていることかな。すると「私の」思いを貫徹しようとしていることが発見されるのだろうか?

 Kの比喩は、鳥の声を聞くように、内面に関心を向ける。注意を向けるでもいいです。
 火中の栗を拾う、という比喩があるが、火中から出ないと栗は拾えません。

「私」という表現が今イチわからない。Kの本にはよく出てきますが。
単純に考えると、自分のことしか考えないとうのが私の思考ということでしょうか。人のことを常に考えている人は、私ではない?思考
 Kの定義では過去の経験記憶一切喝采が「私」。というと、常日頃考えている私たちの思考は、「私」ということになる。
 又、心理的思考と言っても、その前に自分たちの思考の動きをまずみて見ないことにはわかりません。それが心理的思考なんのか、そうでないのか。
 わかりやすくいうと、国会の答弁をみると、首相はじめ大臣の方々は「自己保身」が先にたって答弁している(失言しないようにとか)。あとは各自。経験記憶に従って答弁する。
 本人自身、「自己保身」が先に立って答弁しているいう自覚はまったくないということです。あらゆる言い訳を用意して首相の座を守ることが至上命題。
 (あの学園問題は、誰が見ても首相が口利きしたことは明白。それを御用新聞初めマスコミが擁護している。)


[23950] Re:[23945] [23942] 感情のコントロール 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/10(Sat) 09:57  

> >  ゴトさんのテーマは何で人は争いごとをするのかにご関心があるようです。
>
> はい、そうです。Kも人間は戦争ばかりしていると言うところから始まります。
>
> > つきつめていくと、人間の感情の問題になるのではないでしょうか?その感情。欲望とからみあってコントロールするものなのだろうか。あるいはある程度抑制するものなのだろうか。たとえば禁欲。という疑問が浮かぶます。
>
> 感情というものは燃え上がってしょうがないものでしょうか?、それとも見る間に冷えるものでしょうか?、はたまた長く尾を引いて残る始末に負えないものでしょうか?

 思考形成がされていない赤ちゃんは泣いたり笑ったりする。こういうのはたんに外側に対しての反応なのだろうか?
 たとえば赤ちゃんが泣き叫ぶのは大人への欲求?
 大人になると思考形成がなされ、強固な思考が構築される。その思考と感情とが複雑に絡み合う。
 その感情ですが、喜怒哀楽はもちろんのこと恋愛感情もある。この感情というのは、まさに思考を超えたもの。何で好きかの理由はない。
 はっきり言えるのは、そういった感情を持続させるのは思考。

それで、
「 感情というものは燃え上がってしょうがないものでしょうか?、それとも見る間に冷えるものでしょうか?、はたまた長く尾を引いて残る始末に負えないものでしょうか?」
 ということですが,各自それぞれ恋愛経験があるわけで、各自、胸に手をあててふりかえってみて、そのときの振る舞いを浮かばれば、よくわかると思います。

>
> これは各人様々なものでしょうか?

 はい。表現の仕方は人それぞれ多種多様。百花総覧。

> 感情には原因があり起こるものでしょう。その目的は全心身が一致して目標目指して邁進するための掛け声みたいなものでしょうか? すると自分自身がバラバラになっている人には必要な機能で感情も激しく統一を図るが、自分が個人としてまとまっている人はやろうと思うだけで全体が動くからそれで終わり。そんなところかな。あるいは自信のない人ほど声が大きいとかもあるかもしれない。

 世界情勢をつぶさに見ると、心理的思考が世界を支配していることがありあり。米国、北朝鮮、中国、シリアなど、所詮はメンツの争い。立ち場、権威。実務的思考はあと。国民そっちのけの権力争い。
 経済を牛耳る株も、確心もない「あがるだろう」という、心理的思考が支配する。
 大局的見地というものがない。
>
> 感情的対立という事は国と国がそれぞれに国民一同心を同じくして、感情的に対立することだから、実は最低のこと。感情は裏に心理的思考、考え方があって燃え上がる。それが政府やマスコミによって操作される。

 マスコミ操作によって商品を買わせられる。これはいつものこと。読売と産経は、完全に政府の御用新聞。現政権は首相の保身に多大なエネルギーをかける。今回の「学園騒動」は全く見苦しい。すべては首相の一言からはじまった。
 「私が関知したらすぐやめると」

 それはともかく我々個人には「自己防衛本能」というのがあるようです。あらつる手だてを作って自分を守る。大事な物を守るという本能。
 家庭を持つ人は当然家庭を守る。地位、権威を得た人は、当然それを守るでしょう。懸命に。とくに現首相は懸命にその座を守る。
 一般でも、その人に、いたくプライドを傷つけらたら、責めるでしょう。「何やねん」
 人は、一線を超えると怒る。ですから、社会では人の一線を越えないことが暗黙のルール。夫婦関係。友人関係。
 争いの原因の一つに、人は守りたいものを持っている。それは何か。人にいえないもの。口が裂けても。これだけは譲れない!

> 政府が国民を統一できないとき、外の危険をあおって国内問題から目をそらそうとするのはよくやられてきたことです。

 北朝鮮がその典型。昔の日本がそう。
>
> >  ところがクリシュナムルティの著作類には感情についての言及はあまりないように見受けられます。いかがでしょうか。すべて「思考」という言葉で感情もその中でくくられてしまうのでしょうか。ほとんどの本は、感情というのは、ある程度コントロールするものだという人が多いです。Kのいうのは、思考を見る?感情を見る?といいながら怒りに直面する人はいない?
>
> 普通はよく見ないから世間の通念で操作されてしまう。
>
> >  人は社会人になると、感情をむやみに振り回すことはしなくなります。あくまで常識をわきまえた人です。とりみだすことはしないし、みっともない。でないと社会で生きていけません。それでコントロール術を学ぶ。たとえば会社で上司に無理難題をふっかけられても、ぐっとこらえる。コントロ−ルする。これは抑制とか我慢ということではない。ここがむずかしいところ。怒りたくても怒らない。感情を自分でなだめる。まあまあ。(怒るとクビ)
>
> それでいつもはけ口を探している。無意識的に。

 普通の人は、様々なものをはけ口をさがして昇華している。苦しみに真に直面することはない。何かで心をまぎらす。
 宗教も結局は、はけ口に使われている。本来の宗教の趣旨は違うのですが。
 自分自身でも、何かに趣味など熱中して、日常の嫌なことを忘れさせたといえます。
 あるいは本当の苦しみにあったことがないのかもしれません。たとえば親しい人の死。
 話は戻りますが、苦しみに直面するというのは、自身の苦しみの正体は思考であることを喝破する。とのことのようで。
 しか、そうはいっても、実際にそのような肉親の死を経験をした人に、そのようなこと(自身の思考を見る)をいうのは酷ではないだろうか。ある程度時間がいる。
>

> >  ま、一つ言えることは、怒るのはたいていの人のせいにしてるということです。怒りに原因を外に求める。

 浮気したら、当然その相手を責める。間違っても自分に非があるとは思わない。
>
> それを燃え上がらせる思考には気づかない。それでいて感情をコントロールしようとしてもガソリンをかけているのでは火の手は収まらない。

 怒りだけ怒り切ってしまうてもある。相手は大変だが。といって危害を与えるということではない。ためるよりも、いいたいことをいう。お互いに。すっきりとはいわないまでも、しこりはのこさず。しかし、この例はまれなようで。

 閑話休題。

 武術関係の本に「不動心」という言葉がでてくる。何事が起きても動じない心。驚かない。びくともしない。武の達人。
 クリシュナムルティは、がらがら蛇が出ると、一目散に逃げる?あるいは驚く。その違いは。武の達人は平然。
 クリシュナムルティのいうのは、平静心を養うことより、蛇を見て一目散に逃げる。その逃げさせるのは何か、というのがKの問いで、それは「無意識」だということ。ここは取り違えやすい。Kの「見る」ことが実現できると、何事も動じないとか。


[23949] Re:[23948] [23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/10(Sat) 09:29  

> > > とにかく人間は写真とは違って絵をかきます。写実的な絵ばかりでなく抽象的な絵をかき、人はそれを感じ取ります。
> > >
> > > これは意識があるからできることなのでしょうか?高度な思考がしているのとは違うのでしょうか?
> > > 絵筆を動かしているのは脳です。無意識的に動かしていても脳です。意識は思考でないとすれは心、あるいは精神(マインド)なのでしょうか?
> > >
> > > 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。
> > >
> > > 結局思考や感情や感覚とを統合して認識する働きや、認識された結果を意識と言うのでしょうか?
> > > そしてその結果に対しての応答が必要な際は咄嗟に応答するでしょうが、それは意識の命令によるのでしょうか、そうでなくそれはその部門が自発的に(無意識的に)行動するのでしょうか?
> > >
> > > そんなことを考えなくとも応答して人類はちゃんと生きてきているのだから考える必要はないと言えばそれまでですが、戦争は止まらないし、かなり不満や不安を感じる人もいるし、知を愛すると言って考えるのが好きな人も古来いるので考えるのは止まりそうもないですね。
> > >
> > > それで、意識は脳の物質的な過程の一部なのでしょうか、それとも物質的な過程とは違うものなのでしょうか?
> > > もし違うとすれば、脳からの思考なり感覚なりのものすごく多数の経路をたどって発される刻々の電気信号をどうやって意識は受け取るのか?、いったいそんなことがありうるでしょうか?
> > > また応答する側に対し、意識はどのようにその情報を送るのかそれも同じように考えられません。
> > >
> > > ま、人間にはまだまだ考えもできないようなことは山ほどあるはずですから、意識は脳内の物質的過程であるとは断言できないですが、意識は精神的過程であると断言できるかどうか?
> > > ひょっとすると行動は、咄嗟の場合は意識を経ずに実行されるのだろうか、そうでない間に合わない?
> >
> >
> >  『時間の終焉』にて、意識の中身の各々は心理的時間の結果である旨がクリシュナムルティによって述べられています。
> >
> >  心理的時間が個体を「個人」として認知できるようになる旨が述べられています。
> >
> >  心理的時間が「区別」として認知できるようになる旨も述べられています。
> >
> >  そして心理的時間が暗黒の根源であることが見えるか。それを全体的に見ることが洞察とのことです。
> >
> >  その洞察は、心理的時間を一掃し、それゆえに「個人」が解消し、意識が空っぽになるとのことです。そのとき脳細胞内で神経細胞同士の結合が変化することも述べられています。
> >
> 今度のお話を伺って、心理的時間、心理的思考が神経細胞と軸索の織り成す脳のネットワークの物質的過程であることがよくわかります。

 思考が無い場合に、物理的時間は存在します。

 思考が無い場合に、心理的時間は存在できないですね。なるほど・・。


> >  心理的時間が暗黒の根源であることが、なかなか直接見えない。
>
> なろうとしているその目的・心理的対象を握りしめて離さないその念(執着?)が、念力と言うか心理エネルギーが対象を大きく見せ、離すことをできなくしている。これは願望そのものなのかな。
>
> このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?


 しがみついているものランキング。

 1.個体の存続・発展
 2.個体の存続・発展に有益な事物(妻子・仕事・クリシュナムルティ・知識)


 >なろうとしているその目的・心理的対象を握りしめて離さないその念(執着?)が、念力と言うか心理エネルギー−−、これを直接見ることが有意義に感じます。

 これを直接見ると、解放される感じがします。

 ありがとうございます。


[23948] Re:[23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/09(Fri) 23:00  

> > とにかく人間は写真とは違って絵をかきます。写実的な絵ばかりでなく抽象的な絵をかき、人はそれを感じ取ります。
> >
> > これは意識があるからできることなのでしょうか?高度な思考がしているのとは違うのでしょうか?
> > 絵筆を動かしているのは脳です。無意識的に動かしていても脳です。意識は思考でないとすれは心、あるいは精神(マインド)なのでしょうか?
> >
> > 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。
> >
> > 結局思考や感情や感覚とを統合して認識する働きや、認識された結果を意識と言うのでしょうか?
> > そしてその結果に対しての応答が必要な際は咄嗟に応答するでしょうが、それは意識の命令によるのでしょうか、そうでなくそれはその部門が自発的に(無意識的に)行動するのでしょうか?
> >
> > そんなことを考えなくとも応答して人類はちゃんと生きてきているのだから考える必要はないと言えばそれまでですが、戦争は止まらないし、かなり不満や不安を感じる人もいるし、知を愛すると言って考えるのが好きな人も古来いるので考えるのは止まりそうもないですね。
> >
> > それで、意識は脳の物質的な過程の一部なのでしょうか、それとも物質的な過程とは違うものなのでしょうか?
> > もし違うとすれば、脳からの思考なり感覚なりのものすごく多数の経路をたどって発される刻々の電気信号をどうやって意識は受け取るのか?、いったいそんなことがありうるでしょうか?
> > また応答する側に対し、意識はどのようにその情報を送るのかそれも同じように考えられません。
> >
> > ま、人間にはまだまだ考えもできないようなことは山ほどあるはずですから、意識は脳内の物質的過程であるとは断言できないですが、意識は精神的過程であると断言できるかどうか?
> > ひょっとすると行動は、咄嗟の場合は意識を経ずに実行されるのだろうか、そうでない間に合わない?
>
>
>  『時間の終焉』にて、意識の中身の各々は心理的時間の結果である旨がクリシュナムルティによって述べられています。
>
>  心理的時間が個体を「個人」として認知できるようになる旨が述べられています。
>
>  心理的時間が「区別」として認知できるようになる旨も述べられています。
>
>  そして心理的時間が暗黒の根源であることが見えるか。それを全体的に見ることが洞察とのことです。
>
>  その洞察は、心理的時間を一掃し、それゆえに「個人」が解消し、意識が空っぽになるとのことです。そのとき脳細胞内で神経細胞同士の結合が変化することも述べられています。
>
今度のお話を伺って、心理的時間、心理的思考が神経細胞と軸索の織り成す脳のネットワークの物質的過程であることがよくわかります。
>
>  心理的時間が暗黒の根源であることが、なかなか直接見えない。

なろうとしているその目的・心理的対象を握りしめて離さないその念(執着?)が、念力と言うか心理エネルギーが対象を大きく見せ、離すことをできなくしている。これは願望そのものなのかな。

このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?


[23947] Re:[23935] 意識について(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/09(Fri) 16:11  

> とにかく人間は写真とは違って絵をかきます。写実的な絵ばかりでなく抽象的な絵をかき、人はそれを感じ取ります。
>
> これは意識があるからできることなのでしょうか?高度な思考がしているのとは違うのでしょうか?
> 絵筆を動かしているのは脳です。無意識的に動かしていても脳です。意識は思考でないとすれは心、あるいは精神(マインド)なのでしょうか?
>
> 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。
>
> 結局思考や感情や感覚とを統合して認識する働きや、認識された結果を意識と言うのでしょうか?
> そしてその結果に対しての応答が必要な際は咄嗟に応答するでしょうが、それは意識の命令によるのでしょうか、そうでなくそれはその部門が自発的に(無意識的に)行動するのでしょうか?
>
> そんなことを考えなくとも応答して人類はちゃんと生きてきているのだから考える必要はないと言えばそれまでですが、戦争は止まらないし、かなり不満や不安を感じる人もいるし、知を愛すると言って考えるのが好きな人も古来いるので考えるのは止まりそうもないですね。
>
> それで、意識は脳の物質的な過程の一部なのでしょうか、それとも物質的な過程とは違うものなのでしょうか?
> もし違うとすれば、脳からの思考なり感覚なりのものすごく多数の経路をたどって発される刻々の電気信号をどうやって意識は受け取るのか?、いったいそんなことがありうるでしょうか?
> また応答する側に対し、意識はどのようにその情報を送るのかそれも同じように考えられません。
>
> ま、人間にはまだまだ考えもできないようなことは山ほどあるはずですから、意識は脳内の物質的過程であるとは断言できないですが、意識は精神的過程であると断言できるかどうか?
> ひょっとすると行動は、咄嗟の場合は意識を経ずに実行されるのだろうか、そうでない間に合わない?


 『時間の終焉』にて、意識の中身の各々は心理的時間の結果である旨がクリシュナムルティによって述べられています。

 心理的時間が個体を「個人」として認知できるようになる旨が述べられています。

 心理的時間が「区別」として認知できるようになる旨も述べられています。

 そして心理的時間が暗黒の根源であることが見えるか。それを全体的に見ることが洞察とのことです。

 その洞察は、心理的時間を一掃し、それゆえに「個人」が解消し、意識が空っぽになるとのことです。そのとき脳細胞内で神経細胞同士の結合が変化することも述べられています。


 心理的時間が暗黒の根源であることが、なかなか直接見えない。


[23946] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/09(Fri) 09:38  

 昨日NHKEテレで「モーガンフリーマン時空を超えて 心の闇は根絶出来るのが?」というのをやってました。
 例のごとく実験映像が多く出て、憎しみの物質は脳のどこにあるのか、という話になりました。よくわからなかったというのが正直な感想。現代の学問はまだ「波動」という概念にはいきつかないのでしょうか。思考はエネルギーというように、憎しみもある種のエネルギー、それが脳のどこかにあるなんて発想は、いかに唯物的です。
 人間の想念はエネルギー。そのエネルギーが外界に伝搬し、「場に対して大きな影響を及ぼす。精神科学では、そのようなことが古くから言われている。現代科学は、今もって追いつかない?前頭葉とか何とか。まだ心はどこにあるのか、あるいは意識はどこにあるのかとか、まだそういったことを科学はやってるのだろうか。それでは人間の心の解明は、ほど遠い。


[23945] Re:[23942] 感情のコントロール 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/08(Thu) 17:34  

>  ゴトさんのテーマは何で人は争いごとをするのかにご関心があるようです。

はい、そうです。Kも人間は戦争ばかりしていると言うところから始まります。

> つきつめていくと、人間の感情の問題になるのではないでしょうか?その感情。欲望とからみあってコントロールするものなのだろうか。あるいはある程度抑制するものなのだろうか。たとえば禁欲。という疑問が浮かぶます。

感情というものは燃え上がってしょうがないものでしょうか?、それとも見る間に冷えるものでしょうか?、はたまた長く尾を引いて残る始末に負えないものでしょうか?

これは各人様々なものでしょうか?
感情には原因があり起こるものでしょう。その目的は全心身が一致して目標目指して邁進するための掛け声みたいなものでしょうか? すると自分自身がバラバラになっている人には必要な機能で感情も激しく統一を図るが、自分が個人としてまとまっている人はやろうと思うだけで全体が動くからそれで終わり。そんなところかな。あるいは自信のない人ほど声が大きいとかもあるかもしれない。

感情的対立という事は国と国がそれぞれに国民一同心を同じくして、感情的に対立することだから、実は最低のこと。感情は裏に心理的思考、考え方があって燃え上がる。それが政府やマスコミによって操作される。
政府が国民を統一できないとき、外の危険をあおって国内問題から目をそらそうとするのはよくやられてきたことです。

>  ところがクリシュナムルティの著作類には感情についての言及はあまりないように見受けられます。いかがでしょうか。すべて「思考」という言葉で感情もその中でくくられてしまうのでしょうか。ほとんどの本は、感情というのは、ある程度コントロールするものだという人が多いです。Kのいうのは、思考を見る?感情を見る?といいながら怒りに直面する人はいない?

普通はよく見ないから世間の通念で操作されてしまう。

>  人は社会人になると、感情をむやみに振り回すことはしなくなります。あくまで常識をわきまえた人です。とりみだすことはしないし、みっともない。でないと社会で生きていけません。それでコントロール術を学ぶ。たとえば会社で上司に無理難題をふっかけられても、ぐっとこらえる。コントロ−ルする。これは抑制とか我慢ということではない。ここがむずかしいところ。怒りたくても怒らない。感情を自分でなだめる。まあまあ。(怒るとクビ)

それでいつもはけ口を探している。無意識的に。

>  クリシュナムルティは特上の美人の前ではからっきり弱かったように、私たちも美人の前ではメロメロになるでしょうか。しかし人妻と聞けばさっと引き下がる。これが感情のコントロールです。分をわきまえている。一般論として。
>  何故争うのかは、何故怒るのかにつながる。何故怒るのかと聞かれても答えようがない。正直怒りたいから怒る。思考の理由はいくらでも出てくるでしょう。喜怒哀楽。おかしいから笑う。笑うからおかしいのではなく。
>
>  ま、一つ言えることは、怒るのはたいていの人のせいにしてるということです。怒りに原因を外に求める。

それを燃え上がらせる思考には気づかない。それでいて感情をコントロールしようとしてもガソリンをかけているのでは火の手は収まらない。


[23944] Re:[23943] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/08(Thu) 12:51  

> > 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。

>  気づいている。注意しているというのは、ある一定方向に、意識が向いているということ。何かに気づいている、というのも同じ。
>  以前、気功をやっていて、からだの一部に、焦点をあてると、そこがむずむずする。たとえば手のひら。
>  折れない手。腕を折り曲げ、そこに意識すると、誰がぶらさがってびくともしない。逆に意識しないと、倒れてしまう。
>  気功の先生は、そこに意識を向けて下さい、という表現を使う。
>  ですから、一部の学者は意識とは志向性のことである。あるいは志向性を有する。と定義しています。それは全生物に共通ということです。その意味で全生命に意識があるということ。どれでも志向性をもっている。何かに向かう働き。
>  人間はその中で特別。意識された対象に対しての判断評価推理という働きが「心」と呼ぶべきもの。ですから、意識と心は別個の働きです。


とても興味深く読みました。意識をどこかに集めると、特別の状態が現れる。たぶん火事場の馬鹿力などはそういう事でしょうね。注意の一つの現れ方にそういう事がある。

ところで普通の人間の表面意識、これはだれでも知っていますがそれに限って話をすると、私は思考をある程度深める(熟考する)ためには意識を注ぐことが必要な気がします。今の科学や文明、文化が発達するには、このしっかりした思考が不可欠だと思います。
たわいないおしゃべりは無意識にもできますが。

そしてこの機能は動物になく、人間が言葉と共に獲得した強力な新機能です。それが物質的実用面に関係している限りは問題ないが、それは実際に効果が確かめることができ、間違っていることは捨てられていくからですが、そうでない分野があります。

それはひっくるめて心理的(思考)と言われますが、その内容と、それがなぜ間違っているかはよくわかっていません。どうもそれに意識、注意はあまり向けられないように思います。

いや、向けられるのですが、自分の思いを貫徹するために意識が向くので、その心理的思考を検討する方向には向かない。勝者と敗者に分かれ、勝者は相手が悪いのだとし、敗者は恨みや憎しみを相手に抱くのでは仕方ないです。どうするか。

自分の思いを貫徹するのではなく、何が起こっているかに意識を向ける。これが見る、聴く、知覚すると言われていることかな。すると「私の」思いを貫徹しようとしていることが発見されるのだろうか?


[23943] Re:[23935] 意識について(2) 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/08(Thu) 10:50  

再び書いてみます。普段こういった問題は、文献を厳密に調べて書くものが、とちあえず何も参考にしないで頭に浮かんだことを書きます。

> とにかく人間は写真とは違って絵をかきます。写実的な絵ばかりでなく抽象的な絵をかき、人はそれを感じ取ります。

 え〜と絵を書く。音楽を作曲する。小説を書くというのは創作活動と言われるのではないですか。
 私自身、小学5年生で金賞をとったことがあります。写生ですが。中学になってからは、絵と縁が切れました。今は絵画を見ても何がいいのかわかりません。ルーブル美術館にいってもさっぱり。うまいのはわかるが。
>
> これは意識があるからできることなのでしょうか?高度な思考がしているのとは違うのでしょうか?

 絵を書くのは思考?でしょうか。絵そのものは言葉と無縁に思えます。

> 絵筆を動かしているのは脳です。無意識的に動かしていても脳です。意識は思考でないとすれは心、あるいは精神(マインド)なのでしょうか?

 現代学問では、何もかも脳がコントロールしているというが主流。しかし少数派ですが、脳でさえも道具であり、脳を使うものがいるといいます。
 現代医学は切った貼ったの唯物論の代表。脳死のケース。脳死なのに体は正常。これを何ととらえるか。脳以外のものが肉体をコントロールしているとしかいいいようがない。
>
> 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。
 気づいている。注意しているというのは、ある一定方向に、意識が向いているということ。何かに気づいている、というのも同じ。
 以前、気功をやっていて、からだの一部に、焦点をあてると、そこがむずむずする。たとえば手のひら。
 折れない手。腕を折り曲げ、そこに意識すると、誰がぶらさがってびくともしない。逆に意識しないと、倒れてしまう。
 気功の先生は、そこに意識を向けて下さい、という表現を使う。
 ですから、一部の学者は意識とは志向性のことである。あるいは志向性を有する。と定義しています。それは全生物に共通ということです。その意味で全生命に意識があるということ。どれでも志向性をもっている。何かに向かう働き。
 人間はその中で特別。意識された対象に対しての判断評価推理という働きが「心」と呼ぶべきもの。ですから、意識と心は別個の働きです。


ここまで。



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