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[25337] Re:[25334] 人間の持つ五感 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/02(Sat) 12:54  

> 人間の持つ五感は動物と違ったところがある。例えば、暖寒の感覚も衣服を着て育つことで、そうでない動物とは全く異なる。見る、聞くは見て取り、聴きわける。「空気が読める」である。言語はもちろんのこととして美醜を感じる。音楽を感じる。
>
> これらは五官そのものでなく、心の働きが付け加わっているのだろうか?
>  ある大数学者によると、思索中に妻が入ってきてお茶にしませんかと言った。あまりに集中していたので、それが人語ではなくただの音響として聞こえた。そして妻の声と聞こえ、その言っている意味が分かり、咄嗟に要らないと言おうとしたが疲れていることがわかり、貰おうと答えた。
>
> 私は自分の経験としてはないが、ただの音響として聞くのはありうると思う。だがそうめったにないのではないだろうか。視覚においては、ただの色彩の氾濫として見えるということはありません。半ノイローゼ気味の時は色付きセロファンの切り抜きのように見えたことがありますが。
>  このようなことで、私は単なる感覚として意識することはなく、分別がちゃんとされた像を見ていると思います。
>
> Kの言う命名なしに見ている、判断なしに見ていることは普通にあると思っています。せせらぎの音を聞いている。花に蝶が舞うのを見ている。分別はすでにあるが、それは命名したり判断したりすることとは別のことだと思います。Kを読んでいるほかの方はどう思うのかな。分別がしかねるような状況にいたらそれは異界にいること。とても平静ではいられません。それが未知の中に、神秘、畏怖の世界にいることで、Kはそのことを言っているとお考えでしょうか?


 私は、まだそこまで分かりません。。


> 先に進みます。私は世界が分別されて見えている状態、これが人類の見、聴いている状態で、それは生来的というより、生まれてから母と言語ゲームをやり、徐々に学校、社会とへと場を広げ、経験や知識を持ち、直覚的に働くように発生的に形成された状態であって文明社会と別のものではないと言います。
>
> 私は世界であり、私(註 人類のこと、6/1 20時追加)の感覚は世界と別ではなしに成長してきた。ひょっとして生の全体性ってこの事?!


 動物にとっては、世界とは外界のことではないでしょうか。

 爬虫類が見ている外界。哺乳類の小動物が見ている外界。

 哺乳類の大型動物が見ている外界。類人猿が見ている外界。

 その見ている存在にとっての世界が、そのように見える外界。

 さて、人類にとっての外界(世界)とは・・?

 動物では、外界がどのように見えるかで、見ている存在は爬虫類である・・等々と、見ている存在の感覚レベルを知ることによって、その存在が類人猿なのか、あるいは小型哺乳類であるかが判別できます。

 人類においても、外界がどのように見えるかの感覚レベルを知ることによって、その個体の精神レベルが判別できるのではないでしょか。

 クリシュナムルティは述べています。「精神が聖なるものでなければ、聖なるもの、美・愛・聖を見ることができない」(『神話と伝統を超えてDVDブック 第1巻』より)。


 その意味では、覚者であろうと娑婆人であろうと、観察者は観察されるもの(世界)である・・、これが当てはまるのかもしれません。。


[25336] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/02(Sat) 11:37  

どうようするのがいやで既存の社外などを擁護する人もまたそうである。


[25335] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/02(Sat) 11:23  

他者を傷つけて平気という甘えがある間は成長できない


[25334] 人間の持つ五感 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/01(Fri) 13:44  

人間の持つ五感は動物と違ったところがある。例えば、暖寒の感覚も衣服を着て育つことで、そうでない動物とは全く異なる。見る、聞くは見て取り、聴きわける。「空気が読める」である。言語はもちろんのこととして美醜を感じる。音楽を感じる。

これらは五官そのものでなく、心の働きが付け加わっているのだろうか?
 ある大数学者によると、思索中に妻が入ってきてお茶にしませんかと言った。あまりに集中していたので、それが人語ではなくただの音響として聞こえた。そして妻の声と聞こえ、その言っている意味が分かり、咄嗟に要らないと言おうとしたが疲れていることがわかり、貰おうと答えた。

私は自分の経験としてはないが、ただの音響として聞くのはありうると思う。だがそうめったにないのではないだろうか。視覚においては、ただの色彩の氾濫として見えるということはありません。半ノイローゼ気味の時は色付きセロファンの切り抜きのように見えたことがありますが。
 このようなことで、私は単なる感覚として意識することはなく、分別がちゃんとされた像を見ていると思います。

Kの言う命名なしに見ている、判断なしに見ていることは普通にあると思っています。せせらぎの音を聞いている。花に蝶が舞うのを見ている。分別はすでにあるが、それは命名したり判断したりすることとは別のことだと思います。Kを読んでいるほかの方はどう思うのかな。分別がしかねるような状況にいたらそれは異界にいること。とても平静ではいられません。それが未知の中に、神秘、畏怖の世界にいることで、Kはそのことを言っているとお考えでしょうか?

先に進みます。私は世界が分別されて見えている状態、これが人類の見、聴いている状態で、それは生来的というより、生まれてから母と言語ゲームをやり、徐々に学校、社会とへと場を広げ、経験や知識を持ち、直覚的に働くように発生的に形成された状態であって文明社会と別のものではないと言います。

私は世界であり、私(註 人類のこと、6/1 20時追加)の感覚は世界と別ではなしに成長してきた。ひょっとして生の全体性ってこの事?!


[25333] Re:[25332] 自由意志 投稿者:ゴト 投稿日:2018/05/30(Wed) 16:34  

> 「時間の終焉」の訳者で知られる渡辺充氏はユーチューブで様々な題材で講義を行っている。誠に興味深い。その中で
> 「人間に自由意志はあるのか、ないのか」というテーマの講義があった。人間に真の意味で「自由意志」があるのか。
> 結論めいたことをいうと、渡辺氏は人間には真の意味での自由意志はない、ということを理解することが「悟り」だという。
> 本当にそうだろうか、という疑問が湧く。
> それではクリシュムルティの言っている「自由」というのは何何だろうか?という疑問が改めて湧いてくる。


「自由」とは何か、「自由意志」と同じか違うのか、「自由」という言葉を使いながらよくはわかっていない。そこらがよくわかればそれは悟りだと言う人は、悟っているからそう言えるのか、そう思ってしまったから言っているのか、もちろん聴いている凡人にはわからないのだが、質問したり、異議を唱えたりする。そういうおしゃべり(この頃私は受け売りだが気に入って、「言語ゲーム」と呼んでいる)をためらいなしにやっているとき、自由にしゃべっていると言えないだろうか?

> 我々は物理的時間に生きていることはまぎれもない事実である。それでは「心理的時間」とは?

おしゃべりをしていて、もしもだが、有名になろうとか、金もうけしようという下心があれば、結果が出るまで内心気にしている時間があるので、それを心理的時間と言うのはどうでしょうか?


[25332] 自由意志 投稿者:虚無 投稿日:2018/05/30(Wed) 09:00  

「時間の終焉」の訳者で知られる渡辺充氏はユーチューブで様々な題材で講義を行っている。誠に興味深い。その中で
「人間に自由意志はあるのか、ないのか」というテーマの講義があった。人間に真の意味で「自由意志」があるのか。
結論めいたことをいうと、渡辺氏は人間には真の意味での自由意志はない、ということを理解することが「悟り」だという。
本当にそうだろうか、という疑問が湧く。
それではクリシュムルティの言っている「自由」というのは何何だろうか?という疑問が改めて湧いてくる。
我々は物理的時間に生きていることはまぎれもない事実である。それでは「心理的時間」とは?


[25331] 無題 投稿者:虚無 投稿日:2018/05/30(Wed) 08:39  

>そのようにして、クリシュナムルティ理解へ取り組んでいます。

そもそも「クリシュナムルティ理解」って何ですか?
文字通りの意味なら、クリシュナムルティの本を読んで頭で理解する。そういう意味ですか?
だとするとクリシュナムルティの言わんとしていることを、今だ掴んでいないということになります。
ようするに知識だけが膨れ上がるのみ。

かって新しい芽氏が主催していたサイトの掲示板で、さんざん突っ込まれたところです。

「新しい芽」というのはペンネームで、もう飯尾氏でいいのではないでしょうか。なぜならすでに、本名で翻訳本を出されています。
大野氏と同じように。
老婆心ながら申し上げると、Kのいう「気づく」というのは「悟る」ということです。
今だ、あなたは真理というものをはき違えている。


[25330] Re:[25329] [25327] [25326] [25325] [25324] [25323] [25322] [25321] [25320] [25319] [25318] [25314] 人類の背負うもの 投稿者:ゴト 投稿日:2018/05/29(Tue) 20:21  

> > > > >  >関係の間に愛、信頼、あこがれのようなものがあると起こるように感じます。−−、この「愛・信頼、あこがれ」が「愛」ではなく「利益」「取引」「有用性」であり、思考の産物としての感覚・感情ではないでしょうか。
> > > > >
> > > > >  この理解なしには思考は基盤を欠くと、クリシュナムルティは述べているのではないでしょうか。
> > > > >
> > > > >  基盤のない思考によって、哲学が論じられていないでしょうか。
> > > >
> > > >
> > > > 私のよって立つ基盤は自分の心に浮かぶ知覚です。思考が浮かべば思考が浮かんだとわかって見ている知覚です。信じる神、あるいは聖者、賢人の教えではありません。その知覚に合致する、そしてより深いところを持っていると思うのでその話を聞きます。Kの本も新しい芽さんもそうです。反発するときも必死で何かを得ようとしている時もあります。でも、最後には自分の心の感じるところによって生きます。そう生きている時、理解が生じる時があります。理解は生の中で独立に生じます。その時これがKの言っていることかなあと思う事はあります。しかしほんとにそうかどうかはわかりません。そのような理解は自分の言葉で話せます。不遜かもしれませんがそうして生きています。
> > > >
> > > > いろいろな生を送っている人がいます。人間の生をいろいろな見地から見ています。今は哲学が人類をどう見ているかに関心があります。その立脚点は、竹田青嗣氏はフッサールの本質直観を基礎としています。フッサールの現象学は、Kの読書会でKと同視野に立つ人が哲学者に出てきたという事で話題になりました。それで当時入門書を2冊読みましたが、それが竹田氏の書いたものです。今度出た氏の欲望論は、私の読んだ入門書の集大成で、入門書ではなく本格的論文です。こんな縁があるという事です。
> > >
> > >
> > >  はい。
> > >
> > >  そのような「縁」について非難・正当化することはできませんね。。
> > >
> > >  クリシュナムルティ理解は、多くの「縁」と関わりがあるように感じています。
> > >
> > >  キリスト教文化圏、イスラム教文化圏に縁あって生まれたならば、その条件付けによってクリシュナムルティとの関わりは薄かったのではないでしょうか。
> > >
> > >  また、戦時中に孤児となった人々がいますが、孤児という生育歴の縁を有する者は、親子の愛が「愛着」であり、本物の「愛」ではないとするクリシュナムルティの陳述を、そのまま聴くことができるのではないでしょうか。
> > >
> > >  あるいは、高学歴に恵まれなかった人々、そのような学歴・学問に薄い縁を有する者達にとって、思考の産物には限りがあるとするクリシュナムルティの陳述を、そのまま聴くことができるのではないでしょうか。。
> > >
> > >  母子間に聖なる感覚を伴う絆を感じて生きてきた、そのような生育歴の縁を有する者が、その絆に執着しないことは至難ということです。
> > >
> > >  知能優秀で、学際的に知識を重ね、論理的に縦横無尽に連結させうる頭脳と高学歴の縁を有する者が、その知識と理論に執着しないことは至難ではないでしょうか。
> > >
> > >  そのような無意識的な執着が、クリシュナムルティの陳述をそのままに聴くことを妨げること、これが『時間の終焉』の初めの部分で触れられています。
> > >
> > >  しかし、これらの「縁」を非難・正当化することなく、そのような「縁」が、クリシュナムルティ理解に対して、いかように作用するのかを調べることができるのでしょうか。。
> > >
> > >  >反発するときも必死で何かを得ようとしている時もあります。−−、この「反発」の時が、「縁」の作用なのかもしれません。
> > >
> > >  しかし、最終的には、>でも、最後には自分の心の感じるところによって生きます。−−、これが「縁」の作用として、最後まで残る執着(信念)なのかもしれません。
> >
> >
> > 執着を見ることができない・・・・・
> > 新しい芽さんは自分の心の動きに目が向けるとだけおっしゃいました。
> > 思っているなぁーぐらいに(これも新しい芽さんが別の場合に言ったことですが・・・、余計な付けたしだったかな)
>
>
>  新しい芽さんの「分からない(見ることができない)」は、とても正直さを感じます。
>
>  以前、もしも覚者が居たとして、新しい芽サイトへ投稿してきたならば、それと分かるのか?と新しい芽さんへ問うたところ、「分からない」と返事をもらいました。正直な方だと思いました。
>
>  自身の立脚点を疑ってかかれとはクリシュナムルティの言葉です。
>
>  その立脚点が執着(信念等)か否か?「分からない」、「見えない」。
>
>  顕在意識レベルの執着ならば分かる、見える。
>
>  顕在意識のすぐ下(直下)であれば、クリシュナムルティの指摘等があれば分かる、見える。
>
>  その奥は、関係の鏡を用いて、あるいはクリシュナムルティ理解への取り組みの中でひっかかるところ等を目当てに探ってゆくことができる。
>
>  そして、更にその奥底へ・・。。
>
>  クリシュナムルティが述べるには、それにはゴールがないとのこと。
>
>  クリシュナムルティとの関わりが深い人々は、一定以上、深層心理の奥底まで見えている、分かっていると見受けられます。
>
>  しかし、そこに満足することなく、更にその奥へと、クリシュナムルティは誘っているように思います。
>
>  また、その奥へと進んでゆくのか否かは、いずれにせよ縁あってのことではないでしょうか。。
>
>  私の場合は、社会や世界へ向けて、どうこうしようという意欲よりも、自身について、その奥へと進んでゆきたい。。
>
>  そして、自身が世界であるならば、それは世界にとっても有意義となるだろう・・。
>
>  そのようにして、クリシュナムルティ理解へ取り組んでいます。


はい。あなたのいま進む道を明示してくださって感謝します。私は人類の持つ心の動き、それは自分の心の動きでもありますが、それを探究しています。それはユングを読んだり、福岡正信、クリシュナムルティを読んだ来た心と別に変りません。

なおひとつ。 >新しい芽さんの「分からない(見ることができない)」は、とても正直さを感じます。ーー 
この・・・・・付きの文は新しい芽さんの文ではなく、私がわからない(見ることができない)という問題を見つめている状態を表現したつもりの文でしたが、わかりにくかったようでごめんなさい。 


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> > > >  >関係の間に愛、信頼、あこがれのようなものがあると起こるように感じます。−−、この「愛・信頼、あこがれ」が「愛」ではなく「利益」「取引」「有用性」であり、思考の産物としての感覚・感情ではないでしょうか。
> > > >
> > > >  この理解なしには思考は基盤を欠くと、クリシュナムルティは述べているのではないでしょうか。
> > > >
> > > >  基盤のない思考によって、哲学が論じられていないでしょうか。
> > >
> > >
> > > 私のよって立つ基盤は自分の心に浮かぶ知覚です。思考が浮かべば思考が浮かんだとわかって見ている知覚です。信じる神、あるいは聖者、賢人の教えではありません。その知覚に合致する、そしてより深いところを持っていると思うのでその話を聞きます。Kの本も新しい芽さんもそうです。反発するときも必死で何かを得ようとしている時もあります。でも、最後には自分の心の感じるところによって生きます。そう生きている時、理解が生じる時があります。理解は生の中で独立に生じます。その時これがKの言っていることかなあと思う事はあります。しかしほんとにそうかどうかはわかりません。そのような理解は自分の言葉で話せます。不遜かもしれませんがそうして生きています。
> > >
> > > いろいろな生を送っている人がいます。人間の生をいろいろな見地から見ています。今は哲学が人類をどう見ているかに関心があります。その立脚点は、竹田青嗣氏はフッサールの本質直観を基礎としています。フッサールの現象学は、Kの読書会でKと同視野に立つ人が哲学者に出てきたという事で話題になりました。それで当時入門書を2冊読みましたが、それが竹田氏の書いたものです。今度出た氏の欲望論は、私の読んだ入門書の集大成で、入門書ではなく本格的論文です。こんな縁があるという事です。
> >
> >
> >  はい。
> >
> >  そのような「縁」について非難・正当化することはできませんね。。
> >
> >  クリシュナムルティ理解は、多くの「縁」と関わりがあるように感じています。
> >
> >  キリスト教文化圏、イスラム教文化圏に縁あって生まれたならば、その条件付けによってクリシュナムルティとの関わりは薄かったのではないでしょうか。
> >
> >  また、戦時中に孤児となった人々がいますが、孤児という生育歴の縁を有する者は、親子の愛が「愛着」であり、本物の「愛」ではないとするクリシュナムルティの陳述を、そのまま聴くことができるのではないでしょうか。
> >
> >  あるいは、高学歴に恵まれなかった人々、そのような学歴・学問に薄い縁を有する者達にとって、思考の産物には限りがあるとするクリシュナムルティの陳述を、そのまま聴くことができるのではないでしょうか。。
> >
> >  母子間に聖なる感覚を伴う絆を感じて生きてきた、そのような生育歴の縁を有する者が、その絆に執着しないことは至難ということです。
> >
> >  知能優秀で、学際的に知識を重ね、論理的に縦横無尽に連結させうる頭脳と高学歴の縁を有する者が、その知識と理論に執着しないことは至難ではないでしょうか。
> >
> >  そのような無意識的な執着が、クリシュナムルティの陳述をそのままに聴くことを妨げること、これが『時間の終焉』の初めの部分で触れられています。
> >
> >  しかし、これらの「縁」を非難・正当化することなく、そのような「縁」が、クリシュナムルティ理解に対して、いかように作用するのかを調べることができるのでしょうか。。
> >
> >  >反発するときも必死で何かを得ようとしている時もあります。−−、この「反発」の時が、「縁」の作用なのかもしれません。
> >
> >  しかし、最終的には、>でも、最後には自分の心の感じるところによって生きます。−−、これが「縁」の作用として、最後まで残る執着(信念)なのかもしれません。
>
>
> 執着を見ることができない・・・・・
> 新しい芽さんは自分の心の動きに目が向けるとだけおっしゃいました。
> 思っているなぁーぐらいに(これも新しい芽さんが別の場合に言ったことですが・・・、余計な付けたしだったかな)


 新しい芽さんの「分からない(見ることができない)」は、とても正直さを感じます。

 以前、もしも覚者が居たとして、新しい芽サイトへ投稿してきたならば、それと分かるのか?と新しい芽さんへ問うたところ、「分からない」と返事をもらいました。正直な方だと思いました。

 自身の立脚点を疑ってかかれとはクリシュナムルティの言葉です。

 その立脚点が執着(信念等)か否か?「分からない」、「見えない」。

 顕在意識レベルの執着ならば分かる、見える。

 顕在意識のすぐ下(直下)であれば、クリシュナムルティの指摘等があれば分かる、見える。

 その奥は、関係の鏡を用いて、あるいはクリシュナムルティ理解への取り組みの中でひっかかるところ等を目当てに探ってゆくことができる。

 そして、更にその奥底へ・・。。

 クリシュナムルティが述べるには、それにはゴールがないとのこと。

 クリシュナムルティとの関わりが深い人々は、一定以上、深層心理の奥底まで見えている、分かっていると見受けられます。

 しかし、そこに満足することなく、更にその奥へと、クリシュナムルティは誘っているように思います。

 また、その奥へと進んでゆくのか否かは、いずれにせよ縁あってのことではないでしょうか。。

 私の場合は、社会や世界へ向けて、どうこうしようという意欲よりも、自身について、その奥へと進んでゆきたい。。

 そして、自身が世界であるならば、それは世界にとっても有意義となるだろう・・。

 そのようにして、クリシュナムルティ理解へ取り組んでいます。 


[25328] 無意識―フロイトの功績 投稿者:ゴト 投稿日:2018/05/29(Tue) 16:39  

1)人間の欲望、感受性、倫理感の核をなすものは、決して生来的なものではなく、関係世界の中での発生的本質を持つ。

2)人は自己の欲望、感受性、倫理感の発生の過程を自覚できず、故にそれらに対して「無意識」にならざるを得ない。

3)それら心の動きを対象化して働きかける(例えば「見る」)ことができるなら、それらを一新できるという点で、人間は「無意識なるもの」に対してむしろ自由な「主体」でありうることの可能性を持つことが示唆された。

これは竹田青嗣氏の言うところを、ほぼそのままに述べました。カッコ内は私の挿入です。


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