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[23922] Re:[23919] [23914] [23905] [23903] [23902] [23901] [23895] [23892] [23890] [23886] 見るに入る 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/31(Wed) 23:18  


> > > > 「うまくなりたい」というのは立派な動機です。違いますか。
>
> なんのために?それがないと動機や目的にならない。へぼにはうまくなる当てがない。だからへぼと人に言われる。今に見ていろ僕だってと言えば立派な目的と動機だが、そういうと「もっと楽しめ!」と言われる。

 以前この欄で一向に上達しないので、釣りの師匠に、色々聞いたと伺った。
「どうしたらうまくなれるか」
 今はそういったことを追求するのをやめ、楽しむという心境になられたようで。
>
> ところで目的とか動機が問題になるのは、心理的問題についてのことだとはわかっている?
 いや、くどいようですが、目的と動機自体は問題ではありません。その過程に心理的プロセスが介入するかどうか。
 プロの選手はアマと違い、目的と動機がはっきりしている。ゴルフの宮里藍の引退理由はモチベーションを保つのが難しくなったから。常に優勝をねらう自分がいて苦しかった。
 アマの身分ならもっとゴルフ自体を楽しめる。そのとき目的も動機もない。

> > > 目的、動機は思考の創作物ではないかと言っています。
> >
> >  そうとは限らないでしょう。朝、散歩したいのは、思考の創作ですか?「内面」あるいは体からの欲求です。
>
> だから散歩は自然なもので、思考のつくった考えではありません。
>
> >  真から望むものと、思考からの願望とは違います。一体何をしたいのか、真から自分(の心)に尋ねるしかない。何をしたいのか。
> >  人はそうすることをせず、ただ思考やイメージで動いているがほとんどです。今あるのは「思いどうり」の結果。思いどうりにいかないというのは、ありえない。思いどうりに生きてきたのが,今の実際の現実。それを選択したのだから、人生思いドウリいかなかったというのは嘘。
>
> はい、思い通りにしています。しかし奥さんが離婚してくれと言ったらどうしますか?想定外という言葉もありますよ。

 それも自分が招いた現実です。そうした種を自分で作った。事実を受け入れる
 「はいどうぞ」しかし退職金は渡さない。
>
> > > 目的や動機は言葉ができて初めて生じたのではないだろうかと言っています。思考の創作物。
> >
> >  その考えにくみしません。大いに疑問です。Kがそういっているからですか。動植物は言葉がなくても目的を遂行しています。彼らのやることは「固体の維持と種の保存」のみ。神から与えられた目的。
>
> Kはそんなこと言ったっけ。
 それは次の言葉を指します。
「 目的や動機は言葉ができて初めて生じたのではないだろうかと言っています。思考の創作物。」
 これはあなたの考えでしょうか。それともKの受け売りでしょうか。

>いずれにせよ関係ない。自分で考えればいい。動植物は言葉なしに行動している、生きている。人間が動植物の行動を観察分析して神から与えられた目的を行っていると解釈したという事。

 解釈ではなく事実です。解釈と言うと別の考えがあるということになる。
 動植物が「何か」に生かされて生きていることは紛れもなく事実です。
 人間もそう。「誰が」心臓を動かしているのですか?それとも勝手に動いているのですか。体の働きはバランスそのもの。まさに全体性。バランスが欠けようとなると他が助ける。調和の働き。自然治癒力。実はこの働きは、宇宙全体に及ぶ。これが目に見えないものへの洞察。
>
> >  人間も同じです。しかし人間は神から「言葉」を与えられました。それによって脅威の文明を持ちました。両刃の剣として。しかし、人間は言葉の使い方が今もって「今イチ」。宝の持ち腐れです。
>
> 各民族が各様の言葉を持っている。神から与えられ、は実際には何を意味しているの?
 はい。意志疎通の手段として。もし言葉がなかったら不便でしょうがない。
 神から与えられたものであれば活用するしかない。
>
> >  それと「生きる」ということは根本的な欲求があるということです。あらゆる生命において。
> >
> >  ここまで。目的と動機については、まだ言い足らないようです。目的と動機を持つとエゴにつながるといたいのでしょうか?あるいは利己性だと。
>
> 結果を求めてではなく、創造であると私は言いたいのです。行く先=結果を想像すらできないでしょう?

 この宇宙は、あらかじめ設計図があって動いているのではない。瞬時瞬時動いている。この先どうなるからわからない。その連続。「今」のみ。川の流れを思い浮かべればわかる。どこを切り取ってもその場その場。湾に出ようと、河口にいようと、川は川。そのプロセスが創造過程。
 それとは別に宇宙の法則というものが現存する。川は一定方向に流れる。
 生命について述べると、すべてDNAの設計図が配列されている。まさに命の働き。人間はゴキブリさえ作ることが出来ない。それでも私はゴキブリどもを毎日殺す。
 人間の特権は想像力を与えられたこと。宇宙の創造と人間の想像とは同一。(インド哲学)目を瞑ればいくらでも想像力がわいてくる。その想像力が、現在の驚異の文明を作り上げたといえる。大いなる好奇心。宇宙はどうなってるのか。人間とは。ですから人間というのは、いかに考え抜くということが重要です。考え抜くことによって思考の隙間からふと叡智がやってくるというのは、あらゆる賢者がいってること。このことを現代科学は知らない。なので教えようがない。一般社会でも、ふとひらめきが起きるとかいいアイデアがふと生まれるというのは、よく経験することです。ふと思考が止む瞬間がある
 現代の欠陥「考え抜く」教育の欠如。


[23921] Re:[23916] [23911] 継続の終了 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/31(Wed) 22:41  

> 続き
>
> > このところ、思考の持つ目的とそれを目指しての継続が、現状を見ると、止まるとも思えないという話をしてきました。
> >
> > これをどうすればよいかは「時間の終焉」の第6章(洞察は脳細胞に変容をもたらすことができるかどうか?)から始まっていて、非常に興味あることが論じられています。
> >
> > まず洞察というのはKは別として人はよくわからないので論議が進められません。
> >
> > それで人間の暗黒の一つとして憎しみが出てきて、愛や洞察には原因と結果がないが、憎しみにはそれがあるという事が取り上げられました。つまり、継続、時間があるという事です。
> >
> > ここで洞察が一瞬にして無知を晴らすとか、それはどうやって起こるかとかが言われますが、どうやっては禁句ですから行き詰ります。
>
>  Kは洞察という言葉を、どのように使っているのだろうか。
> >
> > そして、人が愛を持つのは自然なことではないのだろうか、憎しみに憎しみで返さないことは自然のことではないのか、人が洞察を持つのは自然のことではないのか?
>
>  愛イコール洞察?ですか。

たぶん違うものだろうと第6章ではなっています。

> > これらは覚者には自然のことであるのだがとKが言います。
>
>  覚者には自然、凡人は不自然?

凡人が不自然ではなく、凡人には不自然に思えるという事です。

> > この辺で話は第7章に移りますが、私はまだよく読めていません。
> >
> > 私はここが急所で、育つ環境が因果を培うか、気づきを与えるかの相違ではないかと思います。
>
>  環境?

自然や社会、両親など。

> > 気づきを与えるという事は子供が無意識にやったことの幼稚さ、無知さ、非道さを言葉・観念でなく子供が感じるという事です。
> > 子供の素質については、今までのところ覚者も人間の両親から生まれたことに差はないという事が言われています。
>
> イエスは幼子のようにならなければ真理はつかめないといいます。つまり白紙になれと。

しかし環境がおかしければ、また、おかしな色に影響されるかもしれません。

> > 余計なことを書いたかもしれませんが、とても面白く読んだのであしからず。
>
>  余談 
>  テレビで「昼顔」という不倫ドラマを見ていた。
>  何一つ不自由なく平凡な暮らしをしている旦那が、突然奥さんから「好きな人が出来たから家から出ていきます」といわれたらどうだろう。
>  それを聞いた旦那の気持ちは?
>  一瞬はらわたが煮えくり返るのだろうか。その奥さんにこう尋ねる。何の不満があってそうなるのか。妻曰く「好きなものは好き」これでは旦那は立つ瀬がない。これはあくまでドラマであり、そんなことはないとたいていの人はいうだろう。ウチ(家)はありえない。だから一笑に伏してKを読み、そこで愛を論じあう。愛とは?洞察とは?なんて。あくまでそれは他人事。

一人で物語を構築しているのでないならいいが。

>  自分の奥さんが不倫するのは対岸の火事か。ありえない。しかし、本を読んで愛や哲学談義をするのも結構だが、実際にそういうことになったらどうふるまうのだろうか。そのことを検討することの方が重要ではないだろうか。自分の奥さんが不倫なんてありえないとは言わずにだ。若い時に回帰してもし?
>  この議題は愛、憎しみ、洞察など、検討する意味で恰好の材料だろう。

私は若い時、つまり結婚以前にそのことは終わらせてある。そうしとかないと、いい年をしてそれが起こった時にうろたえることになる。

>  自分の奥さんから告白される。「好きな人ができた」
>  そこで、洞察とは、見るとは。

事実は手遅れという事だったりして。

>  優等生の答えは、まず話を聞く。腹を立てずなるべく冷静を装う。一時の恋煩いのせいもあり、ほとぼりが過ぎれば醒める可能性もある。それでしばらく身守る。それではドラマにならないので、妻は真剣に愛しているという設定。

優等生に対する投影があるのかな。

>  凡人は血相かえて怒る。「今まで誰が食わしてやってるんだ」という決まり文句。修羅のはじまり。

この問題とレベルの合う人がいて話をしてくれるといいが…
わたしゃ孫にでも聞かれたら話しするが、この板じゃごめん被るね。真剣に今悩んでいる人の問いなら別。


[23920] Re:[23918] [23917] [23912] [23910] [23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/31(Wed) 21:34  

> > > > > > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> > > > > >
> > > > > > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
> > > > >
> > > > >
> > > > >  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。
> > > >
> > > > 動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。
> > >
> > >
> > >  クリシュナムルティの陳述を読むときに、>動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるか−−、このような読み方がポイントになるのですね。
> >
> >
> > 無意識なんですが、いつか散歩の途中でドーンというような遠い音を聞きました。私は戦後の南海大地震に遭って、その遠くからの地鳴りのような音を聞いたので、似た音を聞いたときは自然に立ち止まって聞きます。
> >
> > そのときも立ち止まってしばらく聞いていたのですが、何かわからないけれど心配はなさそうだと思って、また歩き出そうとしたのです。しかし身体は動こうとしません。それで体の様子をじっと見ていると、しばらくして緊張を解いたので散歩を続けました。
> >
> > そのように無意識をときに感じることがあるのですが、Kを読んでいる時、特に翻訳をしている時は無意識が先に立って読んでいるのを感じていました。
> >
> > 当時は、無意識について、動物からの(言葉以前の)無意識という観念を持ってはいなかったのですが、今思うとそれは言葉以前の脳の機能と思います。
>
>
>  クリシュナムルティとボームが『時間の終焉』で述べるところの「普遍的精神」が、その無意識に近いのかもしれません。
>
>  普遍的精神でクリシュナムルティの陳述を聴く。

その無意識は人間の開拓した思考を通じて抽象化された概念や知識を理解することができる。

これは非常に大きなことかもしれません。これが人間にどう顕現するかわかりませんが。ひょっとすると葛藤の終りがある!? 


[23919] Re:[23914] [23905] [23903] [23902] [23901] [23895] [23892] [23890] [23886] 見るに入る 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/31(Wed) 21:15  

> > 普遍的精神はその(心理的)条件付けがない、したがって個別性(平たく言えば利己性)がない精神です。個別の事柄には利己意識でなく英知で対応する精神です。
>
>  凡人と覚者とわけてしまえばわかりやすいですが、それだと「何か」を取り見逃す嫌いがあります。一般の人の間でも、それぞれの分野で英知で対応する人は、いくらでもいらっしゃる。Kを知らずとも。

その通りです。

> > > > >  ですから,目的、動機なしに生きている人はいない。
> > >
> > > > > そう、ほとんどの人が個別的に見ていますね。
>
>  その個別的とは心理的条件づけのことですか。いわば利己性。
> > >
> > >  個別的ってどういう意味ですか。目的や動機を持つことが個別的ですか。釣りや囲碁をやっておられようですが、当然それをやる「動機」がある。
> > >  まさか目的もなく動機もなく、釣りをやっているとはいわないでしょうね。

しかし、選手権大会に出て優勝しようなどとという目的はない。いわば下手の横好き。これって目的や動機があるのでしょうか?あったら教えてください。お金は出る一方だし、女の子にもてるわけでもない。真理を求めているんだと言えばにやにや笑われるのが落ち。

> > > 「うまくなりたい」というのは立派な動機です。違いますか。

なんのために?それがないと動機や目的にならない。へぼにはうまくなる当てがない。だからへぼと人に言われる。今に見ていろ僕だってと言えば立派な目的と動機だが、そういうと「もっと楽しめ!」と言われる。

ところで目的とか動機が問題になるのは、心理的問題についてのことだとはわかっている?

> >
> > 個別性とは利己性といった方がわかりますか。「私個人」という事がついてまわることです。
> > 釣りに行くとき、自分がうまくなりたいとか、人に負けずに釣りたいとか、自分の健康維持のために行こうとか。

実は釣道というのは利己性があると上達が止まるところが難しい。

>  それでいいのではないですか。はじめはです。

いいですよ。そのうち下手の横好きのドツボにはまらなければ。

> > ただ行き、無心で釣る。意識していないけれど充実した今がある。究極の意識されない悦び。
>
>  だんだんやっていくうちに、奥義を究めたいとか、本質を求めたいということになります。「道」とはそういうことです。

おっしゃる通りです。

> > 日本人は剣術と言わずに剣道といって、その境地にある人を名人と称した。
>
>  きっかけは些細な動機何でもいいです。段々進むうち、道を究めたいとなる。
>  これはすべての分野でも共通でしょう。クリシュナムルティの本でも、はじめに関心もたなければ人は読みません。
> >
>
> > >  目的動機の話から、何でこんな話になるのですか。
> >
> > 目的、動機は思考の創作物ではないかと言っています。
>
>  そうとは限らないでしょう。朝、散歩したいのは、思考の創作ですか?「内面」あるいは体からの欲求です。

だから散歩は自然なもので、思考のつくった考えではありません。

>  真から望むものと、思考からの願望とは違います。一体何をしたいのか、真から自分(の心)に尋ねるしかない。何をしたいのか。
>  人はそうすることをせず、ただ思考やイメージで動いているがほとんどです。今あるのは「思いどうり」の結果。思いどうりにいかないというのは、ありえない。思いどうりに生きてきたのが,今の実際の現実。それを選択したのだから、人生思いドウリいかなかったというのは嘘。

はい、思い通りにしています。しかし奥さんが離婚してくれと言ったらどうしますか?想定外という言葉もありますよ。

> > 目的や動機は言葉ができて初めて生じたのではないだろうかと言っています。思考の創作物。
>
>  その考えにくみしません。大いに疑問です。Kがそういっているからですか。動植物は言葉がなくても目的を遂行しています。彼らのやることは「固体の維持と種の保存」のみ。神から与えられた目的。

Kはそんなこと言ったっけ。いずれにせよ関係ない。自分で考えればいい。動植物は言葉なしに行動している、生きている。人間が動植物の行動を観察分析して神から与えられた目的を行っていると解釈したという事。

>  人間も同じです。しかし人間は神から「言葉」を与えられました。それによって脅威の文明を持ちました。両刃の剣として。しかし、人間は言葉の使い方が今もって「今イチ」。宝の持ち腐れです。

各民族が各様の言葉を持っている。神から与えられ、は実際には何を意味しているの?

>  それと「生きる」ということは根本的な欲求があるということです。あらゆる生命において。
>
>  ここまで。目的と動機については、まだ言い足らないようです。目的と動機を持つとエゴにつながるといたいのでしょうか?あるいは利己性だと。

結果を求めてではなく、創造であると私は言いたいのです。行く先=結果を想像すらできないでしょう?


[23918] Re:[23917] [23912] [23910] [23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:宮啓 投稿日:2017/05/31(Wed) 18:44  

> > > > > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> > > > >
> > > > > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
> > > >
> > > >
> > > >  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。
> > >
> > > 動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。
> >
> >
> >  クリシュナムルティの陳述を読むときに、>動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるか−−、このような読み方がポイントになるのですね。
>
>
> 無意識なんですが、いつか散歩の途中でドーンというような遠い音を聞きました。私は戦後の南海大地震に遭って、その遠くからの地鳴りのような音を聞いたので、似た音を聞いたときは自然に立ち止まって聞きます。
>
> そのときも立ち止まってしばらく聞いていたのですが、何かわからないけれど心配はなさそうだと思って、また歩き出そうとしたのです。しかし身体は動こうとしません。それで体の様子をじっと見ていると、しばらくして緊張を解いたので散歩を続けました。
>
> そのように無意識をときに感じることがあるのですが、Kを読んでいる時、特に翻訳をしている時は無意識が先に立って読んでいるのを感じていました。
>
> 当時は、無意識について、動物からの(言葉以前の)無意識という観念を持ってはいなかったのですが、今思うとそれは言葉以前の脳の機能と思います。


 クリシュナムルティとボームが『時間の終焉』で述べるところの「普遍的精神」が、その無意識に近いのかもしれません。

 普遍的精神でクリシュナムルティの陳述を聴く。 


[23917] Re:[23912] [23910] [23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/31(Wed) 18:27  

> > > > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> > > >
> > > > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
> > >
> > >
> > >  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。
> >
> > 動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。
>
>
>  クリシュナムルティの陳述を読むときに、>動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるか−−、このような読み方がポイントになるのですね。


無意識なんですが、いつか散歩の途中でドーンというような遠い音を聞きました。私は戦後の南海大地震に遭って、その遠くからの地鳴りのような音を聞いたので、似た音を聞いたときは自然に立ち止まって聞きます。

そのときも立ち止まってしばらく聞いていたのですが、何かわからないけれど心配はなさそうだと思って、また歩き出そうとしたのです。しかし身体は動こうとしません。それで体の様子をじっと見ていると、しばらくして緊張を解いたので散歩を続けました。

そのように無意識をときに感じることがあるのですが、Kを読んでいる時、特に翻訳をしている時は無意識が先に立って読んでいるのを感じていました。

当時は、無意識について、動物からの(言葉以前の)無意識という観念を持ってはいなかったのですが、今思うとそれは言葉以前の脳の機能と思います。


[23916] Re:[23911] 継続の終了 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/31(Wed) 18:08  

続き

> このところ、思考の持つ目的とそれを目指しての継続が、現状を見ると、止まるとも思えないという話をしてきました。
>
> これをどうすればよいかは「時間の終焉」の第6章(洞察は脳細胞に変容をもたらすことができるかどうか?)から始まっていて、非常に興味あることが論じられています。
>
> まず洞察というのはKは別として人はよくわからないので論議が進められません。
>
> それで人間の暗黒の一つとして憎しみが出てきて、愛や洞察には原因と結果がないが、憎しみにはそれがあるという事が取り上げられました。つまり、継続、時間があるという事です。
>
> ここで洞察が一瞬にして無知を晴らすとか、それはどうやって起こるかとかが言われますが、どうやっては禁句ですから行き詰ります。

 Kは洞察という言葉を、どのように使っているのだろうか。
>
> そして、人が愛を持つのは自然なことではないのだろうか、憎しみに憎しみで返さないことは自然のことではないのか、人が洞察を持つのは自然のことではないのか?

 愛イコール洞察?ですか。

> これらは覚者には自然のことであるのだがとKが言います。

 覚者には自然、凡人は不自然?
>
> この辺で話は第7章に移りますが、私はまだよく読めていません。
>
> 私はここが急所で、育つ環境が因果を培うか、気づきを与えるかの相違ではないかと思います。

 環境?

> 気づきを与えるという事は子供が無意識にやったことの幼稚さ、無知さ、非道さを言葉・観念でなく子供が感じるという事です。
> 子供の素質については、今までのところ覚者も人間の両親から生まれたことに差はないという事が言われています。

イエスは幼子のようにならなければ真理はつかめないといいます。つまり白紙になれと。
>
> 余計なことを書いたかもしれませんが、とても面白く読んだのであしからず。

 余談 
 テレビで「昼顔」という不倫ドラマを見ていた。
 何一つ不自由なく平凡な暮らしをしている旦那が、突然奥さんから「好きな人が出来たから家から出ていきます」といわれたらどうだろう。
 それを聞いた旦那の気持ちは?
 一瞬はらわたが煮えくり返るのだろうか。その奥さんにこう尋ねる。何の不満があってそうなるのか。妻曰く「好きなものは好き」これでは旦那は立つ瀬がない。これはあくまでドラマであり、そんなことはないとたいていの人はいうだろう。ウチ(家)はありえない。だから一笑に伏してKを読み、そこで愛を論じあう。愛とは?洞察とは?なんて。あくまでそれは他人事。
 自分の奥さんが不倫するのは対岸の火事か。ありえない。しかし、本を読んで愛や哲学談義をするのも結構だが、実際にそういうことになったらどうふるまうのだろうか。そのことを検討することの方が重要ではないだろうか。自分の奥さんが不倫なんてありえないとは言わずにだ。若い時に回帰してもし?
 この議題は愛、憎しみ、洞察など、検討する意味で恰好の材料だろう。
 自分の奥さんから告白される。「好きな人ができた」
 そこで、洞察とは、見るとは。
 優等生の答えは、まず話を聞く。腹を立てずなるべく冷静を装う。一時の恋煩いのせいもあり、ほとぼりが過ぎれば醒める可能性もある。それでしばらく身守る。それではドラマにならないので、妻は真剣に愛しているという設定。
 凡人は血相かえて怒る。「今まで誰が食わしてやってるんだ」という決まり文句。修羅のはじまり。


[23915] Re:[23911] 継続の終了 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/31(Wed) 10:51  

 継続の終了
 この題名を見て一瞬この掲示板の終了かと思いましたが、以下を読んでそうではなかったようです。

 「自我の終焉」というのは、Kの本の題名ですが、それでは「終焉」というのは、いったいどういう意味なのか。はっきり明確な人はそうはいないのではないだろうか。思考の終焉とか。「終わる」というのはどういうことか。Kは瞬間瞬間死ねと言っている。明日に持ち越すな、という意味だろうか。ようするに明日にひきづらない。たとえば肉親が突発事故にあっても明日は忘れろと。

 この掲示板は,いつか「終わる」。その終わりとどう違うのか。



[23914] Re:[23905] [23903] [23902] [23901] [23895] [23892] [23890] [23886] 見るに入る 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/31(Wed) 10:41  


> 個別精神というのは人間における個々の個体が持っている条件づけられた精神です。だから一人一人違う。

 一人一人見方感じ方考え方が違う。それを「個性」と呼ぶかはわかりません。夫婦兄弟有人皆違う。それが当たり前。「個」の尊重。
 しかし、現実は違う。その「違い」を認識せずに、人に対し自分と「同じもの」を強要する。
 たとえば人は、同じ趣味の人をみつけるだろう。その方が話があう。趣味が違う人とは、話があわないように思える。そこがトリック。その人はそれだけで永遠に没交渉。理解とは、趣味、指向の違う人を理解することにある。そうなると長続きする。相互理解。
 現実の世界は「異文化」を嫌う。はてしない対立。身近でも「男」と「女」というだけで対立を呼ぶ。同じ人間。それぞれ役目が違うだけなのに。いじめの元凶はそこ「異」を嫌う。

> 普遍的精神はその(心理的)条件付けがない、したがって個別性(平たく言えば利己性)がない精神です。個別の事柄には利己意識でなく英知で対応する精神です。

 凡人と覚者とわけてしまえばわかりやすいですが、それだと「何か」を取り見逃す嫌いがあります。一般の人の間でも、それぞれの分野で英知で対応する人は、いくらでもいらっしゃる。Kを知らずとも。
 その一つの例。
 最近,ある人から勧められた「ユダヤ人大富豪の教え」にはいたく感銘を受けた。ここでいわれていることは賢人のいってることと同じ。真の金持ちとは
欲得を捨て、邪心を捨て、ものがその存在にありのままに見ること。物事の本質を見抜く目を見ることとある。結果はあとからついてくる、と。(詳細は省略)いくら金持ちでも、時間の自由がなければ、本当の自由ではない。たとえば会社を経営するというのは、きこえがいいが、ほとんどそのことに時間を費やれる。お金を稼ぐことと、増やすこととは違う。
>
> > >
> > > >  ですから,目的、動機なしに生きている人はいない。
> >
> > > > そう、ほとんどの人が個別的に見ていますね。

 その個別的とは心理的条件づけのことですか。いわば利己性。
> >
> >  個別的ってどういう意味ですか。目的や動機を持つことが個別的ですか。釣りや囲碁をやっておられようですが、当然それをやる「動機」がある。
> >  まさか目的もなく動機もなく、釣りをやっているとはいわないでしょうね。
> > 「うまくなりたい」というのは立派な動機です。違いますか。
>
> 個別性とは利己性といった方がわかりますか。「私個人」という事がついてまわることです。
> 釣りに行くとき、自分がうまくなりたいとか、人に負けずに釣りたいとか、自分の健康維持のために行こうとか。

 それでいいのではないですか。はじめはです。

> ただ行き、無心で釣る。意識していないけれど充実した今がある。究極の意識されない悦び。

 だんだんやっていくうちに、奥義を究めたいとか、本質を求めたいということになります。「道」とはそういうことです。

> 日本人は剣術と言わずに剣道といって、その境地にある人を名人と称した。

 きっかけは些細な動機何でもいいです。段々進むうち、道を究めたいとなる。
 これはすべての分野でも共通でしょう。クリシュナムルティの本でも、はじめに関心もたなければ人は読みません。
>

> >  目的動機の話から、何でこんな話になるのですか。
>
> 目的、動機は思考の創作物ではないかと言っています。

 そうとは限らないでしょう。朝、散歩したいのは、思考の創作ですか?「内面」あるいは体からの欲求です。
 真から望むものと、思考からの願望とは違います。一体何をしたいのか、真から自分(の心)に尋ねるしかない。何をしたいのか。
 人はそうすることをせず、ただ思考やイメージで動いているがほとんどです。今あるのは「思いどうり」の結果。思いどうりにいかないというのは、ありえない。思いどうりに生きてきたのが,今の実際の現実。それを選択したのだから、人生思いドウリいかなかったというのは嘘。
>

> 目的や動機は言葉ができて初めて生じたのではないだろうかと言っています。思考の創作物。

 その考えにくみしません。大いに疑問です。Kがそういっているからですか。動植物は言葉がなくても目的を遂行しています。彼らのやることは「固体の維持と種の保存」のみ。神から与えられた目的。
 人間も同じです。しかし人間は神から「言葉」を与えられました。それによって脅威の文明を持ちました。両刃の剣として。しかし、人間は言葉の使い方が今もって「今イチ」。宝の持ち腐れです。
 それと「生きる」ということは根本的な欲求があるということです。あらゆる生命において。

 ここまで。目的と動機については、まだ言い足らないようです。目的と動機を持つとエゴにつながるといたいのでしょうか?あるいは利己性だと。




[23913] Re:[23911] 継続の終了 投稿者:宮啓 投稿日:2017/05/30(Tue) 19:49  

> このところ、思考の持つ目的とそれを目指しての継続が、現状を見ると、止まるとも思えないという話をしてきました。
>
> これをどうすればよいかは「時間の終焉」の第6章(洞察は脳細胞に変容をもたらすことができるかどうか?)から始まっていて、非常に興味あることが論じられています。
>
> まず洞察というのはKは別として人はよくわからないので論議が進められません。
>
> それで人間の暗黒の一つとして憎しみが出てきて、愛や洞察には原因と結果がないが、憎しみにはそれがあるという事が取り上げられました。つまり、継続、時間があるという事です。
>
> ここで洞察が一瞬にして無知を晴らすとか、それはどうやって起こるかとかが言われますが、どうやっては禁句ですから行き詰ります。
>
> そして、人が愛を持つのは自然なことではないのだろうか、憎しみに憎しみで返さないことは自然のことではないのか、人が洞察を持つのは自然のことではないのか?
> これらは覚者には自然のことであるのだがとKが言います。
>
> この辺で話は第7章に移りますが、私はまだよく読めていません。
>
> 私はここが急所で、育つ環境が因果を培うか、気づきを与えるかの相違ではないかと思います。
> 気づきを与えるという事は子供が無意識にやったことの幼稚さ、無知さ、非道さを言葉・観念でなく子供が感じるという事です。
> 子供の素質については、今までのところ覚者も人間の両親から生まれたことに差はないという事が言われています。


 クリシュナムルティが述べるには、子供の教育は若ければ若いほど良い旨が述べられています。

 条件付けが強まって(年齢が高くなって)再教育することは、より手間暇がかかるようです。

 育つ環境において条件付けが少ない方が覚者の話が通じやすいのでしょう。

 育つ環境が逆境か順風か、守られているかいないか、愛情に満ちているのか否か・・には関わらず、条件付けが多いか少ないか!これは大きいということですね。


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