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[23755] Re:[23753] [23751] [23749] [23743] [23742] [23741] [23740] [23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/01(Mon) 07:10  

> > 非難正当化に走りがちなのは政治家ばかりでなく、マスコミもネットの世界もです。もっとも私は日本のそれも表面に出た世界しか知りませんが。
> >
> > 政治以外ではそれなりに注目していいものが結構多いようですが。政治というものそのものが非難正当化を招く性質があるのだろうか?
> >
>
> 政治家が、私はこれこれという理由である国を非難し、私の国を正当化していますが、私は国のリーダーとして、それをやめようと思います、とテレビででも演説したらどうでしょう。
> 悪の枢軸という国家がありますか?国は国で、そこにあるだけです、と。


うーん、すごい。クリシュナムルティを読んでいる人がみなその趣旨を官邸に投稿したら、仏教徒を交えてそれが運動となったらすごいと思います。
悪を嫌うを善じゃと思う 嫌う心が悪じゃもの 盤珪禅師

>
> > ケセラセラ なるようになる 先のことなどわからない♪〜〜か。
> >
> > だが、特定の個人が非難正当化を終わりにすることと、それが社会に実現することは別のことのような気がするけれど、これは私の錯覚だろうか?
>
> 花はそれ自体でも美しいが、美しさを何倍にもするのは、花を見る人の感受性で違ってくる。

感受性とは共鳴するところにあると思う。その時自他がなく、ただその場があるのみ。その時全体性が現前しているのだろうか。


[23754] Re:[23752] [23722] [23720] [23717] [23714] [23711] [23709] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/01(Mon) 06:46  

> > どうもオピニオンリーダーが声の大きい、主張、闘争心の強いやつばかりだと碌な討論にならないという事がありはしないでしょうか?
>
> はい、そうでしょうね。既に「あるべきこと」「こうなって欲しいこと」を抱えていて、それを自分以外の人に認めさせるのが目的なので。いや人によっては論争に勝てさえすれば良いという人もいるでしょうね。

ええ、そういう人もいます。どうも男同士だとそうなりがちの面があり、女同士でもそうです。
男と女だとそうでもないですが。。やはり磁石のように極性があって、同極性同士は反発し、異極は引き合うという事かな。

しかし、結婚して10年以上たつと、知らず知らずの間に異性の感覚も自分の一部として加わっているようです。男女ともに。
動物でもそのようですよ。
>
>
> > この間「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」という映画の終りの方だけ見たのですが、アイスランド(人口32万人)の政治の世界では、リーマンショックの折に三つある銀行の二つが取り付け騒ぎになり、女性が怒ってゼネストになり、女性大統領になったそうです。それで代議士も官僚も男女の比率が40〜60%とという比率にする法律ができたそうです。
> >
> > その理由は女性は実態のあるもので考えうのだそうです。男は実態のない理想や希望で動くのだそうです。それで上記の比率で議論すると雰囲気(=場?)が変わるのだそうです。取り付け騒ぎにならなかった銀行は女性が頭取であったそうです。
> > ただし女性が少数ならそれはお飾りか少数派になって意味がないそうです。場の変革がないのかな。これが世界の常識だそうです。日本でこの常識が実現したら世の中少しは変わるだろうと思います。アイスランドの行き先が気になりますね。
>
> ある程度人数がいないと、というのはやはり多数派の価値観が組織に充満してしまうからでしょうか。

そうですね。

> 「女人悟り難し」でしたっけ?仏教方面だかでそんな言葉があったはずですが、最近では「ノン・デュアリティ(非二元)」という看板で悟りについて語ってらっしゃるリーダー的な方々には女性が多いですね。いや女性の方が多いのかも知れません。

そうなんですか、それは頼もしいですね。

> それは考え方が男性の方が観念的で女性は実際的だということに関係があるのかもですね。

主婦は家事でいやというほど実際のこまごましたことで気を使っているし、実際に多忙です。身の回りを整えることが好きでもあります。感覚的な快さが好きですねえ。
男は金を稼いだら主婦に渡し、本を読んだり好きなことをしています。観念的ですねえ。碁やへらブナ釣りは観念的でもあるが実証的なところもあって面白いです。


[23753] Re:[23751] [23749] [23743] [23742] [23741] [23740] [23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:南方 投稿日:2017/05/01(Mon) 05:20  

> 非難正当化に走りがちなのは政治家ばかりでなく、マスコミもネットの世界もです。もっとも私は日本のそれも表面に出た世界しか知りませんが。
>
> 政治以外ではそれなりに注目していいものが結構多いようですが。政治というものそのものが非難正当化を招く性質があるのだろうか?
>

政治家が、私はこれこれという理由である国を非難し、私の国を正当化していますが、私は国のリーダーとして、それをやめようと思います、とテレビででも演説したらどうでしょう。
悪の枢軸という国家がありますか?国は国で、そこにあるだけです、と。




> ケセラセラ なるようになる 先のことなどわからない♪〜〜か。
>
> だが、特定の個人が非難正当化を終わりにすることと、それが社会に実現することは別のことのような気がするけれど、これは私の錯覚だろうか?

花はそれ自体でも美しいが、美しさを何倍にもするのは、花を見る人の感受性で違ってくる。


[23752] Re:[23722] [23720] [23717] [23714] [23711] [23709] [23705] 生物とは 投稿者:想念狂 投稿日:2017/04/30(Sun) 23:55  

> どうもオピニオンリーダーが声の大きい、主張、闘争心の強いやつばかりだと碌な討論にならないという事がありはしないでしょうか?

はい、そうでしょうね。既に「あるべきこと」「こうなって欲しいこと」を抱えていて、それを自分以外の人に認めさせるのが目的なので。いや人によっては論争に勝てさえすれば良いという人もいるでしょうね。


> この間「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」という映画の終りの方だけ見たのですが、アイスランド(人口32万人)の政治の世界では、リーマンショックの折に三つある銀行の二つが取り付け騒ぎになり、女性が怒ってゼネストになり、女性大統領になったそうです。それで代議士も官僚も男女の比率が40〜60%とという比率にする法律ができたそうです。
>
> その理由は女性は実態のあるもので考えうのだそうです。男は実態のない理想や希望で動くのだそうです。それで上記の比率で議論すると雰囲気(=場?)が変わるのだそうです。取り付け騒ぎにならなかった銀行は女性が頭取であったそうです。
> ただし女性が少数ならそれはお飾りか少数派になって意味がないそうです。場の変革がないのかな。これが世界の常識だそうです。日本でこの常識が実現したら世の中少しは変わるだろうと思います。アイスランドの行き先が気になりますね。

ある程度人数がいないと、というのはやはり多数派の価値観が組織に充満してしまうからでしょうか。
「女人悟り難し」でしたっけ?仏教方面だかでそんな言葉があったはずですが、最近では「ノン・デュアリティ(非二元)」という看板で悟りについて語ってらっしゃるリーダー的な方々には女性が多いですね。いや女性の方が多いのかも知れません。
それは考え方が男性の方が観念的で女性は実際的だということに関係があるのかもですね。


[23751] Re:[23749] [23743] [23742] [23741] [23740] [23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/30(Sun) 23:38  

> > 子供の風俗へのお金をせびられた母親はどう思うのでしょうか、きっと子供がかわいそうで、しかし困惑するでしょうね。
> >
>
> 映画で、或いは小説で、風俗の金を母親からせびる息子が登場した場合、観客、読み手は母親に感情移入し、息子は悪者です。あくまで、一般論ですが。
>
> そこで、立ち止まって、観客の立場で母親の辛さ切なさを味わったとします。クリシュナムルティはそこで止まってはいけないと言います。
> 「悪い」人などいるのですか?と。あるのは、ただ人だけですと。
>
> つまり、自分で自分を悪人と裁いてたんですね。だから辛かった。正当化も攻撃もなしに、ただみる。
>
> 正当化に走りがちですが、自分で自分を裁くのをやめる、ところから、個人も国も始めていけばかな、これも押し付けではありませんが、希望は見えるかも。
>
> それが、自分にも他人にもなかなか、と。
>

非難正当化に走りがちなのは政治家ばかりでなく、マスコミもネットの世界もです。もっとも私は日本のそれも表面に出た世界しか知りませんが。

政治以外ではそれなりに注目していいものが結構多いようですが。政治というものそのものが非難正当化を招く性質があるのだろうか?

ケセラセラ なるようになる 先のことなどわからない♪〜〜か。

だが、特定の個人が非難正当化を終わりにすることと、それが社会に実現することは別のことのような気がするけれど、これは私の錯覚だろうか?


[23750] Re:[23748] [23746] [23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/30(Sun) 22:41  

> > >  私の場合、個体と個体の集団に分ける必要を感じません。
> > >
> > >  個体の集団とは、個体の化けの皮を剥がした結末に見えます。
> >
> > それはその通りです。しかしその個人の集合体としての組織=国家が形成されるとき、国家という集合体は人間の個人に比してまだ試作品程度の未完成組織体だと言いたい気がします。小さい市町村はそれなりにあるレベルに達してきているのですが、国家の中枢が不安定な気がします。
>
>
>  個体の中枢は、死を前にして不安定ではないでしょうか。
>
>  死と離れている場合(逃避している場合)において、比較的安定となるのではないでしょうか。

死を前にしてという状態が二通りあるのではないでしょうか?

一つは実際の死が目前にあって、今直面している場合です。別に悟りを開いているとかの事ではなく、例えば、南アフリカから命からがら地中海にまでたどり着いて、中古の船に今にも沈みそうなくらいに乗せられ、放り出され、イタリヤの海上警備隊に見つけてもらうのを頼みの綱とする難民のような場合です。ここには必死の行動があるだけで、宇宙の秩序にたがってはいないでしょう。

もう一つは死に対する思考が入り込んでいる場合です。恐怖や未練、過去現在未来が干渉している場合です。逃避は一時的なものです。

この二つの場合は国家や部族のような社会的個体と言えるものはなく、単なる個人・家族の集団があるのみで、個人の心の状態だけが実際に働いているものですね。

>  死から離れているとは、年齢が若いということだけではなく、あの世や生まれ変わりや天国等々が条件づけられている場合において、国家中枢に比して安定に見えるということでしょうか。

個人が死に対して安定であるというのは、死が(心理的)問題になるのを終わりにすればなります。

だが、国家のような社会的組織としての個体は個人のある程度の精神的安定の実現に頼るだけではダメでしょう。
Kも言っていましたが、政治家や役人が最もそういう事から遠い人かも知れないからです。とまあ今はそんな風に考えています。


[23749] Re:[23743] [23742] [23741] [23740] [23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:南方 投稿日:2017/04/30(Sun) 17:51  

> > > 内面のことを話したいなら話してください。私も自分の言葉で言えることを話しましょう。
> > >
> >
> >
> > もっぱら家族、それも父と母との関係、精神的なもつれを
> > 今、解きほぐそうとしています。
> >
> > 母を守るという固い思いがありました。それで、内面で父を悪者にしていました。外の現実も同じように父はどんどん悪者
> > になっていきました。
> >
> > アリストテレスでいうところの、質量的始動因と運動的始動因のどちらがどうだったのかと、観ています。
> >
> > 母の場合は、性欲というものについて観ています。
> > 先日、母に風俗に行く金を工面してもらえないだろうか、というメールを送りました。
> > ここらへんがもつれているのですが、結婚とは、精神的愛を求める、癒しとか気づきあいとかですが、それ以外にもセックスということがあって、やはり男としてそれはしたい。
> > という所で止まります。
> >
> > お金、セックス、愛。
>
>
> もつれが三体になってくるとほどけにくいですね。せめて結婚する前にお互いの間のもつれはほどいて置いてほしいですね。
> でもそうもいかないのが、多くの場合の実情でしょう。独占欲とか支配欲とかありますから。しかし、それらをあらかじめほどいてしまうこともできます。
>
> 子供の風俗へのお金をせびられた母親はどう思うのでしょうか、きっと子供がかわいそうで、しかし困惑するでしょうね。
>
> >


映画で、或いは小説で、風俗の金を母親からせびる息子が登場した場合、観客、読み手は母親に感情移入し、息子は悪者です。あくまで、一般論ですが。

そこで、立ち止まって、観客の立場で母親の辛さ切なさを味わったとします。クリシュナムルティはそこで止まってはいけないと言います。
「悪い」人などいるのですか?と。あるのは、ただ人だけですと。

つまり、自分で自分を悪人と裁いてたんですね。だから辛かった。正当化も攻撃もなしに、ただみる。

正当化に走りがちですが、自分で自分を裁くのをやめる、ところから、個人も国も始めていけばかな、これも押し付けではありませんが、希望は見えるかも。

それが、自分にも他人にもなかなか、と。


> 歳を取って夫婦ともに耳が遠くなると会話も大変です。大きな声を出しても聞き取れない。以心伝心などと言っても、実際はそれではすまない。会話はやはりありがたいことです。

微笑ましい夫婦の姿が目に浮かぶようです。


[23748] Re:[23746] [23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/04/30(Sun) 15:00  

> >  人間の個体は、中期・短期的に見ると、進路が定まらない船のように航行するように見受けられます。本音と建て前が異なるがゆえに、右に行ったり左に行ったり、口では右と言っているのに行動は左とか、右往左往した航路を辿ります。
> >
> >  しかし、クリシュナムルティが述べるには、「人は絶えず内面が外面を打ち負かす」旨述べています。すなわち、いくら偽善を為しても、虚飾を為しても、内面がそうでなければ、いずれ化けの皮は剥がれるということです。
>
> 人間の本来の姿は無意識なのかもしれませんが、本音と建前の分裂があると、これは病気になったり、神経症になったりします。集団として本音が抑圧されているとついには革命になったりもします。これは歪がたまるといつかはじけるという事で、地震のように統計的には言えるけれど、予測のできない事柄でしょう。
> そして本音に従って行為することは特定の個人が心を傾注することで実現します。
>
> 集団的規模でも起こります。中近東からの難民の移動は本音の表出でしょうね。
>
>
> > > > > >  自己イメージに無知を含めているだろうか‥。
> > > > > >
> > > > > >  自己イメージに暗黒を含めているだろうか・・。
> > > > > >
> > > > > >  自己イメージが優越的ではないだろうか・・。
> > > > > >
> > > > > >  人は自己イメージで競い合っている。虚飾である。
> > > > > >
> > > > > >  ルックスの虚飾から、内面の虚飾。能力や存在価値の競い合い。自己顕示。
> > > > > >
> > > > > >  そのように競い合う自己イメージにおいて、己だけ、現にあるものと自己イメージをマッチさせることができるのか・・。
>
> 私は自分だけなら個人のエネルギーをそっそぐことで建前でなく、本音に沿って行動できると言います。それは小規模の集団、家庭や職場の小単位では生じえます。
>
> しかし社会の建前の締め付けが厳しくなる場合いもあります。本音で生きることを知っている人が多いと多くの人の目に本物の建前の害が目に見えてきます。上役の人にもそういう目が開けてきているとその集団の力量は侮れないものがあります。
>
> しかし国家規模となると私は何も言えなくなります。わからないのです。
>
>
> >  そのように長期的には化けの皮が剥がれる個体。その長期的結末が、個体の社会集団に現れているのではないでしょうか。
> >
> >
> > > ある程度の個体の集団としての生存に危機が(たとえイメージであっても)あるとき、対立、抗争が始まると、それは乱走になりかねない。
> > >
> > > そういう危険はわかっているのに世界ではそれが現実に起こっている。統治者を形成する集団に何か問題があるのだろうか?例えば権力を奪われる恐怖にとらわれているとか。
>
> >
> >  私の場合、個体と個体の集団に分ける必要を感じません。
> >
> >  個体の集団とは、個体の化けの皮を剥がした結末に見えます。
>
> それはその通りです。しかしその個人の集合体としての組織=国家が形成されるとき、国家という集合体は人間の個人に比してまだ試作品程度の未完成組織体だと言いたい気がします。小さい市町村はそれなりにあるレベルに達してきているのですが、国家の中枢が不安定な気がします。


 個体の中枢は、死を前にして不安定ではないでしょうか。

 死と離れている場合(逃避している場合)において、比較的安定となるのではないでしょうか。

 死から離れているとは、年齢が若いということだけではなく、あの世や生まれ変わりや天国等々が条件づけられている場合において、国家中枢に比して安定に見えるということでしょうか。


[23747] Re:[23745] ちょっと一言 投稿者:宮啓 投稿日:2017/04/30(Sun) 14:43  

> 実は「あるがままのもの」について、私はそれが妄想であろうが何であろうが、今現実にここにあるものをあるがままのものと言ってきました。
>
> しかし、今回、今ここに「本来のもの」が出現している時、それを指して「あるがままのもの」と呼ぶ人がかなり多くいる気がします。それもわかる気がしたのでちょっと一言書きました。


 「現にあるもの」はクリシュナムルティ語として意味があるのでしょう。

 「気づき」「注意」「時間」「刻々の死」「瞑想」等々、かなり多くの人々が用いる用法とは異なる意味づかいで、クリシュナムルティは用いています。


 クリシュナムルティは専門用語を用いない理由を以下のように述べています。

 「専門用語を用いても、意味が伝わることは難しい。よって、専門用語を用いない」(旨)。 


[23746] Re:[23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/30(Sun) 11:43  

>  人間の個体は、中期・短期的に見ると、進路が定まらない船のように航行するように見受けられます。本音と建て前が異なるがゆえに、右に行ったり左に行ったり、口では右と言っているのに行動は左とか、右往左往した航路を辿ります。
>
>  しかし、クリシュナムルティが述べるには、「人は絶えず内面が外面を打ち負かす」旨述べています。すなわち、いくら偽善を為しても、虚飾を為しても、内面がそうでなければ、いずれ化けの皮は剥がれるということです。

人間の本来の姿は無意識なのかもしれませんが、本音と建前の分裂があると、これは病気になったり、神経症になったりします。集団として本音が抑圧されているとついには革命になったりもします。これは歪がたまるといつかはじけるという事で、地震のように統計的には言えるけれど、予測のできない事柄でしょう。
そして本音に従って行為することは特定の個人が心を傾注することで実現します。

集団的規模でも起こります。中近東からの難民の移動は本音の表出でしょうね。


> > > > >  自己イメージに無知を含めているだろうか‥。
> > > > >
> > > > >  自己イメージに暗黒を含めているだろうか・・。
> > > > >
> > > > >  自己イメージが優越的ではないだろうか・・。
> > > > >
> > > > >  人は自己イメージで競い合っている。虚飾である。
> > > > >
> > > > >  ルックスの虚飾から、内面の虚飾。能力や存在価値の競い合い。自己顕示。
> > > > >
> > > > >  そのように競い合う自己イメージにおいて、己だけ、現にあるものと自己イメージをマッチさせることができるのか・・。

私は自分だけなら個人のエネルギーをそっそぐことで建前でなく、本音に沿って行動できると言います。それは小規模の集団、家庭や職場の小単位では生じえます。

しかし社会の建前の締め付けが厳しくなる場合いもあります。本音で生きることを知っている人が多いと多くの人の目に本物の建前の害が目に見えてきます。上役の人にもそういう目が開けてきているとその集団の力量は侮れないものがあります。

しかし国家規模となると私は何も言えなくなります。わからないのです。


>  そのように長期的には化けの皮が剥がれる個体。その長期的結末が、個体の社会集団に現れているのではないでしょうか。
>
>
> > ある程度の個体の集団としての生存に危機が(たとえイメージであっても)あるとき、対立、抗争が始まると、それは乱走になりかねない。
> >
> > そういう危険はわかっているのに世界ではそれが現実に起こっている。統治者を形成する集団に何か問題があるのだろうか?例えば権力を奪われる恐怖にとらわれているとか。

>
>  私の場合、個体と個体の集団に分ける必要を感じません。
>
>  個体の集団とは、個体の化けの皮を剥がした結末に見えます。

それはその通りです。しかしその個人の集合体としての組織=国家が形成されるとき、国家という集合体は人間の個人に比してまだ試作品程度の未完成組織体だと言いたい気がします。小さい市町村はそれなりにあるレベルに達してきているのですが、国家の中枢が不安定な気がします。


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