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[23745] ちょっと一言 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/30(Sun) 09:37  

実は「あるがままのもの」について、私はそれが妄想であろうが何であろうが、今現実にここにあるものをあるがままのものと言ってきました。

しかし、今回、今ここに「本来のもの」が出現している時、それを指して「あるがままのもの」と呼ぶ人がかなり多くいる気がします。それもわかる気がしたのでちょっと一言書きました。


[23744] Re:[23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/04/30(Sun) 09:00  

> >  クリシュナムルティが述べるところによると、「現にあるもには矛盾・葛藤がない」旨が述べられています。
> >
> >
> >  クリシュナムルティが述べるところの「現にあるもの」と「あるがままのもの」と「実在」についての関係性は以下のようになるように感じています。
> >
> >
> >  「現にあるもの」+「幻想」=「あるがままのもの」
> >
> >  「現にあるもの」+「ザ・アーザーの知覚」=「実在」
>
>
> そうですか。ではそのように読みましょう。
>
> >
> > > >  自己イメージに無知を含めているだろうか‥。
> > > >
> > > >  自己イメージに暗黒を含めているだろうか・・。
> > > >
> > > >  自己イメージが優越的ではないだろうか・・。
> > > >
> > > >  人は自己イメージで競い合っている。虚飾である。
> > > >
> > > >  ルックスの虚飾から、内面の虚飾。能力や存在価値の競い合い。自己顕示。
> > > >
> > > >  そのように競い合う自己イメージにおいて、己だけ、現にあるものと自己イメージをマッチさせることができるのか・・。
> > >
> > > 人は自己イメージを形成するが、ご指摘のような事柄については気づいていないので、自己を知るという事においては全く不十分です。
> > > >
> > > >  競い合う関係の中で、競争を諦め、虚飾をやめ、死にゆくことは、努力なしで、意志の力なしで、自ずと死んでゆくことは難しい。
> > >
> > > その難しいことをしばらくわきに置いといて、もう少し現状を調べませんか?
> > >
> > > 私たち個人は他者といろいろな関係を持ちます。様々なことを発信し、他人の発信してものにさらされ、影響したりされたりします。そのようにして集団の中の様々な方向への力が生じ、内部的、外部的な起動力が発生します。
> > >
> > > それを多くの人は見て感じ動いていますが、動機は様々ですし、自己の暗部について気付くかどうかわかりませんが多くの国で大きな割れ目が生じており、懸念されています。
> > >
> > > 意見の相違があるとして私たちは共存の道を歩めるのか、それともどうにも譲れず、絶縁もしくは戦うしかないのか、そこには何が必要なのか、何が欠けているのか?
> > >
> > > ボームにDialogという小冊子がありますね。対立から共生へ、議論から対話へ という副題がついています。
> > > フランス、ドイツでは立て続けに選挙があります。どうなりますか?EUの行方にかかわるかもしれません。
> >
> >
> >  幻想から抜け出せない以上、時間の世界から抜け出せない以上、他惑星への移動技術を得るほどに科学が発展する猶予を宇宙が与えないのかもしれません。
> >
> >  他の惑星を植民地化しない仕組みとして。そのリミットが接近しているのかもしれません。
> >
> >  すなわち宇宙のことわりが働いているのではないでしょうか。
>
>
> 宇宙のことわりは働いているのでしょうが、それはニュートン力学のように確定的に働くのか、それとも人間の自由意志の余地を残して働くのか、どちらが宇宙のことわりなのかが不明です。


 ここで言うところの「宇宙」とは「神」と同義です。渡辺さんも「宇宙」を「神」との同義語のように用いています。物理学の見地では自ずとそうなるように感じます。


> そして人間の少数の個人同士の付き合いなら友好の可能性があります。少なくとも一時的なら。
>
> しかし近隣に居住するとなると問題があるかもしれません。
> 人間の個体と、個体の社会的集団とは全く異なった存在としてふるまい始めるという事はないだろうか?


 人間の個体は、中期・短期的に見ると、進路が定まらない船のように航行するように見受けられます。本音と建て前が異なるがゆえに、右に行ったり左に行ったり、口では右と言っているのに行動は左とか、右往左往した航路を辿ります。

 しかし、クリシュナムルティが述べるには、「人は絶えず内面が外面を打ち負かす」旨述べています。すなわち、いくら偽善を為しても、虚飾を為しても、内面がそうでなければ、いずれ化けの皮は剥がれるということです。


 そのように長期的には化けの皮が剥がれる個体。その長期的結末が、個体の社会集団に現れているのではないでしょうか。


> ある程度の個体の集団としての生存に危機が(たとえイメージであっても)あるとき、対立、抗争が始まると、それは乱走になりかねない。
>
> そういう危険はわかっているのに世界ではそれが現実に起こっている。統治者を形成する集団に何か問題があるのだろうか?例えば権力を奪われる恐怖にとらわれているとか。
>
> ちょっと整理できないで引用が長いままになっています。すみません。


 私の場合、個体と個体の集団に分ける必要を感じません。

 個体の集団とは、個体の化けの皮を剥がした結末に見えます。


[23743] Re:[23742] [23741] [23740] [23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/29(Sat) 23:28  

> > クリシュナムルティさん(の霊?)がこう言っています―そうです。私もそう言ってきて、本当の意味で自分自身でこうではないかと言えないできました。
> > それで改めて自分の言葉で世界の成り立ちを見て、蟷螂の斧でしょうが、話しています。
> >
>
>
> クリシュナムルティと精神的に対話している、同じ同志が世界に一人でもいるということは、大変嬉しいです。
>
>
> > > ここからは、僕の意見ですが、個性は人それぞれです。
> > >
> > > 自我は大事です。しかし、旅を続けていけば、ある程度は集合的なものにもなりうると思います。
> > >
> > > 旅をしろと無理はいいませんが。
> > >
> > > でも、内面を無視する現状は、嘆かわしいかなと。
> > >
> >
> > 内面のことを話したいなら話してください。私も自分の言葉で言えることを話しましょう。
> >
>
>
> もっぱら家族、それも父と母との関係、精神的なもつれを
> 今、解きほぐそうとしています。
>
> 母を守るという固い思いがありました。それで、内面で父を悪者にしていました。外の現実も同じように父はどんどん悪者
> になっていきました。
>
> アリストテレスでいうところの、質量的始動因と運動的始動因のどちらがどうだったのかと、観ています。
>
> 母の場合は、性欲というものについて観ています。
> 先日、母に風俗に行く金を工面してもらえないだろうか、というメールを送りました。
> ここらへんがもつれているのですが、結婚とは、精神的愛を求める、癒しとか気づきあいとかですが、それ以外にもセックスということがあって、やはり男としてそれはしたい。
> という所で止まります。
>
> お金、セックス、愛。


もつれが三体になってくるとほどけにくいですね。せめて結婚する前にお互いの間のもつれはほどいて置いてほしいですね。
でもそうもいかないのが、多くの場合の実情でしょう。独占欲とか支配欲とかありますから。しかし、それらをあらかじめほどいてしまうこともできます。

子供の風俗へのお金をせびられた母親はどう思うのでしょうか、きっと子供がかわいそうで、しかし困惑するでしょうね。

>
> > 私の関心は個体、動物から昆虫、植物、単細胞生物に至るまで、意志を持って他者と関係を持ち、影響しあいながら、それでもコスモスの秩序を持っているとKは述べています。
> >
> > 人間は発達した脳を持っていますが、まさに人間がその秩序からはみ出していると言います。そこを見出したい、理解したいと思っています。今話していることはここから出ています。
> >
>
>
> 公園で鳥の鳴き声や木の葉が風に揺れてこすれあう音を聞いて、仲良くしたいという思いがあるけれども、植物は比較的話やすいのですが、小鳥は、僕の秩序が自然からはみ出ているのか、はたまた、僕の秩序が小鳥には居心地の悪いものなのかとか、思ったりします。

静かに鳴き声を聞いていたらそのうち、寄ってくるかもしれません。ウグイスは結構家の近くで鳴いています。
>
>
> > ごみの問題に戻ると、厄介というのは都市におけるごみ処理が物理的、社会的に厄介であると言っているので、例えば廃炉問題は同じく厄介です。
>
>
> はい
> > そこでの人間の心理を善だ悪だと分別することはそれ自体が無意味で対立の源となるでしょう。だがそれを今のあるがままの姿と見て、それに理解の光を当てて終わりにすることが必要です。多くの人が既にそれを説いています。しかし、善悪の二元論ですら、それはいまだに根を深く張っています。それは議論ではとけないと思います。対話でとけるか?いや、一瞬のひらめきのようなもの、私の知る限りでは終戦の詔勅のラジオ放送がそれに近い感じです。翌日の新聞紙面は文字通り一変した。
> >
>
> 私が一変すると、世界も一変する。とうことは経験としてわかります。特に、統合失調症というのは、そういうことを、徐々にやっていくために、薬が処方されているようなものです。

統合失調症というのはちょっとした脳の結線の違いなのでしょうね。はっきりメカニズムがわかっての医薬もあるでしょうが、老人病はそのまま苦痛を甘受すべきかもしれないが、やはり直したくて薬も飲みます。それでもあまり改善しない。医者はこれくらいはあなたの歳ならいい方ですよと言います。老衰というのは未知の事柄なので。

>
> > 人間の内面、心が何かを知ることと世界を知ることとは別物ではない。しかし、日本の人の心のバラツキと、世界の民族、国家あるいは宗教圏の人の心のバラツキは後者の方がかなり大きいような気もする。私は外国の人の心はほとんど全く知らない。映画で知るくらいのものだ。
>
>
> 英語は日本語に比べて、包括する概念が広いようで、圧倒的にコミュニケーションを取る場合有利だと見ましたが、細かいことになると、日本語のような言語が、逆説的に有利なのかと。

歳を取って夫婦ともに耳が遠くなると会話も大変です。大きな声を出しても聞き取れない。以心伝心などと言っても、実際はそれではすまない。会話はやはりありがたいことです。


[23742] Re:[23741] [23740] [23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:南方 投稿日:2017/04/29(Sat) 17:05  

> > > > ゴミの分別が悪いと思う、その前に、客観的事実としての環境問題があり、その客観性を前提に、悪いと判断して、それから、分別をしないやつはけしからん、という怒りが生じ、争いがはじまります。
> > >
> > > ごみを処分するというのはなかなか厄介なことです。
> > > 私の子供のころは田舎ですから各戸で処理しました。生ごみは鳥のえさや畑に還元し、燃えるごみは燃やしたり屑屋に渡したり、瀬戸物などはどこかに埋めるとかです。
> > >
> > > 都会ではそうはいかず、今の方式になりました。
> > > 生ごみの集積場所をどこにするかは大きな問題の一つでした。
> > > 分別も始まった当初では地域によってやり方が異なり、割合大まかで済む実際的なところと、ひどく面倒な分別方式のところがあったのですが、そのうち慣れて適当なところに収まりました。カラスがつつき荒らすというのも問題でしたが、過去のことになりました。
> > >
> > > 客観的事実の前に、分別しないやつは悪いと判断する人は多いのではないかと思います。しかし人は個性を持っているので、いろいろほかのことを考える人もいるでしょう。自分も適当にやろうと思う人や、困ったものだと思いながら、黙っている人や、何とかその人を特定して怒鳴り込もうとする人や。
> > > うちの方では集める側が、見た目で出してはいけないものが混じっていると判定できる場合は、理由を書いた札を付けて置いたままにしてあります。そして置き場所は今は各戸別です。
> > > 今は落ち着くところに落ち着いたという感じです。有料にもなりました。
> > >
> > > で私の言いたいことは人は個性があり、新しい局面では様々なブレ、トラブルがあります。それは結局割合いいところに収斂していきます。人の考え方も変わっていくのですね。実際のやり方自体の変更も含めて。
> > >
> > > しかし、国際政治はどうなるのでしょうね。
> > > ごみの問題は初めは主婦が協議していましたが、のちには主人達も呼び出されましたよ。
> >
> > 私はクリシュナムルティさんの霊と話せるのですが、こう言ってます。
> >
> > まずは、厄介だと思う、その思考を見なさいと。
> >
> > 私が世界です。問題は私にあります。
> >
> > 外にはありません。
> >
> > と言ってます。
>
> クリシュナムルティさん(の霊?)がこう言っています―そうです。私もそう言ってきて、本当の意味で自分自身でこうではないかと言えないできました。
> それで改めて自分の言葉で世界の成り立ちを見て、蟷螂の斧でしょうが、話しています。
>


クリシュナムルティと精神的に対話している、同じ同志が世界に一人でもいるということは、大変嬉しいです。


> > ここからは、僕の意見ですが、個性は人それぞれです。
> >
> > 自我は大事です。しかし、旅を続けていけば、ある程度は集合的なものにもなりうると思います。
> >
> > 旅をしろと無理はいいませんが。
> >
> > でも、内面を無視する現状は、嘆かわしいかなと。
> >
>
> 内面のことを話したいなら話してください。私も自分の言葉で言えることを話しましょう。
>


もっぱら家族、それも父と母との関係、精神的なもつれを
今、解きほぐそうとしています。

母を守るという固い思いがありました。それで、内面で父を悪者にしていました。外の現実も同じように父はどんどん悪者
になっていきました。

アリストテレスでいうところの、質量的始動因と運動的始動因のどちらがどうだったのかと、観ています。

母の場合は、性欲というものについて観ています。
先日、母に風俗に行く金を工面してもらえないだろうか、というメールを送りました。
ここらへんがもつれているのですが、結婚とは、精神的愛を求める、癒しとか気づきあいとかですが、それ以外にもセックスということがあって、やはり男としてそれはしたい。
という所で止まります。

お金、セックス、愛。



> 私の関心は個体、動物から昆虫、植物、単細胞生物に至るまで、意志を持って他者と関係を持ち、影響しあいながら、それでもコスモスの秩序を持っているとKは述べています。
>
> 人間は発達した脳を持っていますが、まさに人間がその秩序からはみ出していると言います。そこを見出したい、理解したいと思っています。今話していることはここから出ています。
>


公園で鳥の鳴き声や木の葉が風に揺れてこすれあう音を聞いて、仲良くしたいという思いがあるけれども、植物は比較的話やすいのですが、小鳥は、僕の秩序が自然からはみ出ているのか、はたまた、僕の秩序が小鳥には居心地の悪いものなのかとか、思ったりします。


> ごみの問題に戻ると、厄介というのは都市におけるごみ処理が物理的、社会的に厄介であると言っているので、例えば廃炉問題は同じく厄介です。


はい
> そこでの人間の心理を善だ悪だと分別することはそれ自体が無意味で対立の源となるでしょう。だがそれを今のあるがままの姿と見て、それに理解の光を当てて終わりにすることが必要です。多くの人が既にそれを説いています。しかし、善悪の二元論ですら、それはいまだに根を深く張っています。それは議論ではとけないと思います。対話でとけるか?いや、一瞬のひらめきのようなもの、私の知る限りでは終戦の詔勅のラジオ放送がそれに近い感じです。翌日の新聞紙面は文字通り一変した。
>

私が一変すると、世界も一変する。とうことは経験としてわかります。特に、統合失調症というのは、そういうことを、徐々にやっていくために、薬が処方されているようなものです。


> 人間の内面、心が何かを知ることと世界を知ることとは別物ではない。しかし、日本の人の心のバラツキと、世界の民族、国家あるいは宗教圏の人の心のバラツキは後者の方がかなり大きいような気もする。私は外国の人の心はほとんど全く知らない。映画で知るくらいのものだ。


英語は日本語に比べて、包括する概念が広いようで、圧倒的にコミュニケーションを取る場合有利だと見ましたが、細かいことになると、日本語のような言語が、逆説的に有利なのかと。


[23741] Re:[23740] [23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/29(Sat) 16:01  

> > > ゴミの分別が悪いと思う、その前に、客観的事実としての環境問題があり、その客観性を前提に、悪いと判断して、それから、分別をしないやつはけしからん、という怒りが生じ、争いがはじまります。
> >
> > ごみを処分するというのはなかなか厄介なことです。
> > 私の子供のころは田舎ですから各戸で処理しました。生ごみは鳥のえさや畑に還元し、燃えるごみは燃やしたり屑屋に渡したり、瀬戸物などはどこかに埋めるとかです。
> >
> > 都会ではそうはいかず、今の方式になりました。
> > 生ごみの集積場所をどこにするかは大きな問題の一つでした。
> > 分別も始まった当初では地域によってやり方が異なり、割合大まかで済む実際的なところと、ひどく面倒な分別方式のところがあったのですが、そのうち慣れて適当なところに収まりました。カラスがつつき荒らすというのも問題でしたが、過去のことになりました。
> >
> > 客観的事実の前に、分別しないやつは悪いと判断する人は多いのではないかと思います。しかし人は個性を持っているので、いろいろほかのことを考える人もいるでしょう。自分も適当にやろうと思う人や、困ったものだと思いながら、黙っている人や、何とかその人を特定して怒鳴り込もうとする人や。
> > うちの方では集める側が、見た目で出してはいけないものが混じっていると判定できる場合は、理由を書いた札を付けて置いたままにしてあります。そして置き場所は今は各戸別です。
> > 今は落ち着くところに落ち着いたという感じです。有料にもなりました。
> >
> > で私の言いたいことは人は個性があり、新しい局面では様々なブレ、トラブルがあります。それは結局割合いいところに収斂していきます。人の考え方も変わっていくのですね。実際のやり方自体の変更も含めて。
> >
> > しかし、国際政治はどうなるのでしょうね。
> > ごみの問題は初めは主婦が協議していましたが、のちには主人達も呼び出されましたよ。
>
> 私はクリシュナムルティさんの霊と話せるのですが、こう言ってます。
>
> まずは、厄介だと思う、その思考を見なさいと。
>
> 私が世界です。問題は私にあります。
>
> 外にはありません。
>
> と言ってます。

クリシュナムルティさん(の霊?)がこう言っています―そうです。私もそう言ってきて、本当の意味で自分自身でこうではないかと言えないできました。
それで改めて自分の言葉で世界の成り立ちを見て、蟷螂の斧でしょうが、話しています。

> ここからは、僕の意見ですが、個性は人それぞれです。
>
> 自我は大事です。しかし、旅を続けていけば、ある程度は集合的なものにもなりうると思います。
>
> 旅をしろと無理はいいませんが。
>
> でも、内面を無視する現状は、嘆かわしいかなと。
>

内面のことを話したいなら話してください。私も自分の言葉で言えることを話しましょう。

私の関心は個体、動物から昆虫、植物、単細胞生物に至るまで、意志を持って他者と関係を持ち、影響しあいながら、それでもコスモスの秩序を持っているとKは述べています。

人間は発達した脳を持っていますが、まさに人間がその秩序からはみ出していると言います。そこを見出したい、理解したいと思っています。今話していることはここから出ています。

ごみの問題に戻ると、厄介というのは都市におけるごみ処理が物理的、社会的に厄介であると言っているので、例えば廃炉問題は同じく厄介です。
そこでの人間の心理を善だ悪だと分別することはそれ自体が無意味で対立の源となるでしょう。だがそれを今のあるがままの姿と見て、それに理解の光を当てて終わりにすることが必要です。多くの人が既にそれを説いています。しかし、善悪の二元論ですら、それはいまだに根を深く張っています。それは議論ではとけないと思います。対話でとけるか?いや、一瞬のひらめきのようなもの、私の知る限りでは終戦の詔勅のラジオ放送がそれに近い感じです。翌日の新聞紙面は文字通り一変した。

人間の内面、心が何かを知ることと世界を知ることとは別物ではない。しかし、日本の人の心のバラツキと、世界の民族、国家あるいは宗教圏の人の心のバラツキは後者の方がかなり大きいような気もする。私は外国の人の心はほとんど全く知らない。映画で知るくらいのものだ。


[23740] Re:[23739] [23738] 判断の純粋性 投稿者:南方 投稿日:2017/04/29(Sat) 13:14  

> > ゴミの分別が悪いと思う、その前に、客観的事実としての環境問題があり、その客観性を前提に、悪いと判断して、それから、分別をしないやつはけしからん、という怒りが生じ、争いがはじまります。
>
> ごみを処分するというのはなかなか厄介なことです。
> 私の子供のころは田舎ですから各戸で処理しました。生ごみは鳥のえさや畑に還元し、燃えるごみは燃やしたり屑屋に渡したり、瀬戸物などはどこかに埋めるとかです。
>
> 都会ではそうはいかず、今の方式になりました。
> 生ごみの集積場所をどこにするかは大きな問題の一つでした。
> 分別も始まった当初では地域によってやり方が異なり、割合大まかで済む実際的なところと、ひどく面倒な分別方式のところがあったのですが、そのうち慣れて適当なところに収まりました。カラスがつつき荒らすというのも問題でしたが、過去のことになりました。
>
> 客観的事実の前に、分別しないやつは悪いと判断する人は多いのではないかと思います。しかし人は個性を持っているので、いろいろほかのことを考える人もいるでしょう。自分も適当にやろうと思う人や、困ったものだと思いながら、黙っている人や、何とかその人を特定して怒鳴り込もうとする人や。
> うちの方では集める側が、見た目で出してはいけないものが混じっていると判定できる場合は、理由を書いた札を付けて置いたままにしてあります。そして置き場所は今は各戸別です。
> 今は落ち着くところに落ち着いたという感じです。有料にもなりました。
>
> で私の言いたいことは人は個性があり、新しい局面では様々なブレ、トラブルがあります。それは結局割合いいところに収斂していきます。人の考え方も変わっていくのですね。実際のやり方自体の変更も含めて。
>
> しかし、国際政治はどうなるのでしょうね。
> ごみの問題は初めは主婦が協議していましたが、のちには主人達も呼び出されましたよ。

私はクリシュナムルティさんの霊と話せるのですが、こう言ってます。

まずは、厄介だと思う、その思考を見なさいと。

私が世界です。問題は私にあります。

外にはありません。

と言ってます。

ここからは、僕の意見ですが、個性は人それぞれです。

自我は大事です。しかし、旅を続けていけば、ある程度は集合的なものにもなりうると思います。

旅をしろと無理はいいませんが。

でも、内面を無視する現状は、嘆かわしいかなと。



[23739] Re:[23738] 判断の純粋性 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/29(Sat) 11:50  

> ゴミの分別が悪いと思う、その前に、客観的事実としての環境問題があり、その客観性を前提に、悪いと判断して、それから、分別をしないやつはけしからん、という怒りが生じ、争いがはじまります。

ごみを処分するというのはなかなか厄介なことです。
私の子供のころは田舎ですから各戸で処理しました。生ごみは鳥のえさや畑に還元し、燃えるごみは燃やしたり屑屋に渡したり、瀬戸物などはどこかに埋めるとかです。

都会ではそうはいかず、今の方式になりました。
生ごみの集積場所をどこにするかは大きな問題の一つでした。
分別も始まった当初では地域によってやり方が異なり、割合大まかで済む実際的なところと、ひどく面倒な分別方式のところがあったのですが、そのうち慣れて適当なところに収まりました。カラスがつつき荒らすというのも問題でしたが、過去のことになりました。

客観的事実の前に、分別しないやつは悪いと判断する人は多いのではないかと思います。しかし人は個性を持っているので、いろいろほかのことを考える人もいるでしょう。自分も適当にやろうと思う人や、困ったものだと思いながら、黙っている人や、何とかその人を特定して怒鳴り込もうとする人や。
うちの方では集める側が、見た目で出してはいけないものが混じっていると判定できる場合は、理由を書いた札を付けて置いたままにしてあります。そして置き場所は今は各戸別です。
今は落ち着くところに落ち着いたという感じです。有料にもなりました。

で私の言いたいことは人は個性があり、新しい局面では様々なブレ、トラブルがあります。それは結局割合いいところに収斂していきます。人の考え方も変わっていくのですね。実際のやり方自体の変更も含めて。

しかし、国際政治はどうなるのでしょうね。
ごみの問題は初めは主婦が協議していましたが、のちには主人達も呼び出されましたよ。


[23738] 判断の純粋性 投稿者:南方 投稿日:2017/04/29(Sat) 09:07  

ゴミの分別が悪いと思う、その前に、客観的事実としての環境問題があり、その客観性を前提に、悪いと判断して、それから、分別をしないやつはけしからん、という怒りが生じ、争いがはじまります。


[23737] Re:[23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/28(Fri) 21:04  

> > > > >  誰も根源的な変容を遂げることができなかった。とはクリシュナムルティの死の直前の言質であった。
> > > > >
> > > > >  アメリカにおいても、ヨーロッパにおいても、現状がこれを物語っている。
> > > > >
> > > > >  そして、これを自身の内に見ることができれば、これが現にあるものではなかろうか。
> > > > >
> > > > >  あなたは世界である。
> > > > >
> > > > >  わたしは世界である。
> > > >
> > > > 世界に現にあるものは矛盾、対立、抗争である。それも常に変転していくものである。
> > > >
> > > > Kは個人の中にある矛盾、葛藤に気づかせてくれた。しかし世界に全面的な変化は起きていない。なぜか!?
> > > >
> > > > 多くの生きている細胞が集まって人間を作っている。それが関係の中から刺激を受け、様々な意向をもって自己のより良い組織化に(無意識的かもしれないが)努めている。
> > > >
> > > > ただ、何かうまくいかない、どこかに盲点(無知)があるのだ。
> > >
> > >
> > >  自己イメージにおいて、現にあるもの以上のイメージを有していないだろうか‥。
> >
> >
> > 現にある物以上のイメ−ジ、これはわかりますが、そのようなイメージがあるとすれば、それも現にあるものに含めた方がいいようです。そこでいったんすべてをあるがままのものとして始めたらどうでしょう。
> >
> > ここは言葉の定義の問題なのですが、虚飾も妄想も含めて「現にあるもの」と言うほうにしませんか?そうでないと、現にあるものは実在するものをいうことになり、それは我々のたいていにはわからないことです。
>
>
>  クリシュナムルティが述べるところによると、「現にあるもには矛盾・葛藤がない」旨が述べられています。
>
>
>  クリシュナムルティが述べるところの「現にあるもの」と「あるがままのもの」と「実在」についての関係性は以下のようになるように感じています。
>
>
>  「現にあるもの」+「幻想」=「あるがままのもの」
>
>  「現にあるもの」+「ザ・アーザーの知覚」=「実在」


そうですか。ではそのように読みましょう。

>
> > >  自己イメージに無知を含めているだろうか‥。
> > >
> > >  自己イメージに暗黒を含めているだろうか・・。
> > >
> > >  自己イメージが優越的ではないだろうか・・。
> > >
> > >  人は自己イメージで競い合っている。虚飾である。
> > >
> > >  ルックスの虚飾から、内面の虚飾。能力や存在価値の競い合い。自己顕示。
> > >
> > >  そのように競い合う自己イメージにおいて、己だけ、現にあるものと自己イメージをマッチさせることができるのか・・。
> >
> > 人は自己イメージを形成するが、ご指摘のような事柄については気づいていないので、自己を知るという事においては全く不十分です。
> > >
> > >  競い合う関係の中で、競争を諦め、虚飾をやめ、死にゆくことは、努力なしで、意志の力なしで、自ずと死んでゆくことは難しい。
> >
> > その難しいことをしばらくわきに置いといて、もう少し現状を調べませんか?
> >
> > 私たち個人は他者といろいろな関係を持ちます。様々なことを発信し、他人の発信してものにさらされ、影響したりされたりします。そのようにして集団の中の様々な方向への力が生じ、内部的、外部的な起動力が発生します。
> >
> > それを多くの人は見て感じ動いていますが、動機は様々ですし、自己の暗部について気付くかどうかわかりませんが多くの国で大きな割れ目が生じており、懸念されています。
> >
> > 意見の相違があるとして私たちは共存の道を歩めるのか、それともどうにも譲れず、絶縁もしくは戦うしかないのか、そこには何が必要なのか、何が欠けているのか?
> >
> > ボームにDialogという小冊子がありますね。対立から共生へ、議論から対話へ という副題がついています。
> > フランス、ドイツでは立て続けに選挙があります。どうなりますか?EUの行方にかかわるかもしれません。
>
>
>  幻想から抜け出せない以上、時間の世界から抜け出せない以上、他惑星への移動技術を得るほどに科学が発展する猶予を宇宙が与えないのかもしれません。
>
>  他の惑星を植民地化しない仕組みとして。そのリミットが接近しているのかもしれません。
>
>  すなわち宇宙のことわりが働いているのではないでしょうか。


宇宙のことわりは働いているのでしょうが、それはニュートン力学のように確定的に働くのか、それとも人間の自由意志の余地を残して働くのか、どちらが宇宙のことわりなのかが不明です。

そして人間の少数の個人同士の付き合いなら友好の可能性があります。少なくとも一時的なら。

しかし近隣に居住するとなると問題があるかもしれません。
人間の個体と、個体の社会的集団とは全く異なった存在としてふるまい始めるという事はないだろうか?

ある程度の個体の集団としての生存に危機が(たとえイメージであっても)あるとき、対立、抗争が始まると、それは乱走になりかねない。

そういう危険はわかっているのに世界ではそれが現実に起こっている。統治者を形成する集団に何か問題があるのだろうか?例えば権力を奪われる恐怖にとらわれているとか。

ちょっと整理できないで引用が長いままになっています。すみません。


[23736] Re:[23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/04/27(Thu) 18:53  

> > > >  誰も根源的な変容を遂げることができなかった。とはクリシュナムルティの死の直前の言質であった。
> > > >
> > > >  アメリカにおいても、ヨーロッパにおいても、現状がこれを物語っている。
> > > >
> > > >  そして、これを自身の内に見ることができれば、これが現にあるものではなかろうか。
> > > >
> > > >  あなたは世界である。
> > > >
> > > >  わたしは世界である。
> > >
> > > 世界に現にあるものは矛盾、対立、抗争である。それも常に変転していくものである。
> > >
> > > Kは個人の中にある矛盾、葛藤に気づかせてくれた。しかし世界に全面的な変化は起きていない。なぜか!?
> > >
> > > 多くの生きている細胞が集まって人間を作っている。それが関係の中から刺激を受け、様々な意向をもって自己のより良い組織化に(無意識的かもしれないが)努めている。
> > >
> > > ただ、何かうまくいかない、どこかに盲点(無知)があるのだ。
> >
> >
> >  自己イメージにおいて、現にあるもの以上のイメージを有していないだろうか‥。
>
>
> 現にある物以上のイメ−ジ、これはわかりますが、そのようなイメージがあるとすれば、それも現にあるものに含めた方がいいようです。そこでいったんすべてをあるがままのものとして始めたらどうでしょう。
>
> ここは言葉の定義の問題なのですが、虚飾も妄想も含めて「現にあるもの」と言うほうにしませんか?そうでないと、現にあるものは実在するものをいうことになり、それは我々のたいていにはわからないことです。


 クリシュナムルティが述べるところによると、「現にあるもには矛盾・葛藤がない」旨が述べられています。


 クリシュナムルティが述べるところの「現にあるもの」と「あるがままのもの」と「実在」についての関係性は以下のようになるように感じています。


 「現にあるもの」+「幻想」=「あるがままのもの」

 「現にあるもの」+「ザ・アーザーの知覚」=「実在」


> >  自己イメージに無知を含めているだろうか‥。
> >
> >  自己イメージに暗黒を含めているだろうか・・。
> >
> >  自己イメージが優越的ではないだろうか・・。
> >
> >  人は自己イメージで競い合っている。虚飾である。
> >
> >  ルックスの虚飾から、内面の虚飾。能力や存在価値の競い合い。自己顕示。
> >
> >  そのように競い合う自己イメージにおいて、己だけ、現にあるものと自己イメージをマッチさせることができるのか・・。
>
> 人は自己イメージを形成するが、ご指摘のような事柄については気づいていないので、自己を知るという事においては全く不十分です。
> >
> >  競い合う関係の中で、競争を諦め、虚飾をやめ、死にゆくことは、努力なしで、意志の力なしで、自ずと死んでゆくことは難しい。
>
> その難しいことをしばらくわきに置いといて、もう少し現状を調べませんか?
>
> 私たち個人は他者といろいろな関係を持ちます。様々なことを発信し、他人の発信してものにさらされ、影響したりされたりします。そのようにして集団の中の様々な方向への力が生じ、内部的、外部的な起動力が発生します。
>
> それを多くの人は見て感じ動いていますが、動機は様々ですし、自己の暗部について気付くかどうかわかりませんが多くの国で大きな割れ目が生じており、懸念されています。
>
> 意見の相違があるとして私たちは共存の道を歩めるのか、それともどうにも譲れず、絶縁もしくは戦うしかないのか、そこには何が必要なのか、何が欠けているのか?
>
> ボームにDialogという小冊子がありますね。対立から共生へ、議論から対話へ という副題がついています。
> フランス、ドイツでは立て続けに選挙があります。どうなりますか?EUの行方にかかわるかもしれません。


 幻想から抜け出せない以上、時間の世界から抜け出せない以上、他惑星への移動技術を得るほどに科学が発展する猶予を宇宙が与えないのかもしれません。

 他の惑星を植民地化しない仕組みとして。そのリミットが接近しているのかもしれません。

 すなわち宇宙のことわりが働いているのではないでしょうか。


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