雑感
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【コメント中のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
コメント中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
暗証キー (記事メンテ用)

[23730] Re:[23729] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/22(Sat) 14:04  

> 貴方は、絶対言葉でごまかします。クリシュナムルティをよく読めば自立は、悪いと彼は絶対云ってますね。

自立とは生計を立てることであり、それが精神の堕落である、そうKは言っているということでしょうか?


[23729] 無題 投稿者:中西寛人 投稿日:2017/04/22(Sat) 11:35  

貴方は、絶対言葉でごまかします。クリシュナムルティをよく読めば自立は、悪いと彼は絶対云ってますね。


[23728] Re:[23727] [23725] [23724] [23712] [23710] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/22(Sat) 09:59  

> > もとの始まりは自立することが断片化ではないかという事でしたね。思考の終焉は断片化の終りのことですが、それは思考との同一化の終りであり、その時は本質的に断片である思考も道具として使うことができます。
> >
> この文章は何を述べてるのでしょう。こんな事云っても、普通の人は、全然解らないと、思います。クリシュナムルティを読むとは、意味の分からない空論を述べて、いい気になる事なんでしょうか?

普通の人にはわからない!はい、わかりました。では心して話してみます。

自立するという事で、独立した人が一人増えます。それはバラバラな孤立した人が増えていく事とも考えられます。

現実にそういう場合もあります。しかし自立した人がほかの人たちと関係を持っているならバラバラになって孤立しているわけではないと思いますがいかがでしょう。意見が異なっていても対話ができているなら、そこには関係が保たれています。

これではどうでしょう、普通の人にも意が通じるでしょうか?


[23727] Re:[23725] [23724] [23712] [23710] 無題 投稿者:中西寛人 投稿日:2017/04/22(Sat) 06:55  

> もとの始まりは自立することが断片化ではないかという事でしたね。思考の終焉は断片化の終りのことですが、それは思考との同一化の終りであり、その時は本質的に断片である思考も道具として使うことができます。
>
この文章は何を述べてるのでしょう。こんな事云っても、普通の人は、全然解らないと、思います。クリシュナムルティを読むとは、意味の分からない空論を述べて、いい気になる事なんでしょうか?


[23726] 無題 投稿者:中西寛人 投稿日:2017/04/22(Sat) 05:27  

何でそう殊更に難しくなるのか解らないんですよ。kは、もっと、素朴に、云ってると、思うなあ。


[23725] Re:[23724] [23712] [23710] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/21(Fri) 23:16  

> > Kが自立するなというのは私は聞いたことがありません。
> 云ってます。それが思考の終焉ですよね。

わかりません。

もとの始まりは自立することが断片化ではないかという事でしたね。思考の終焉は断片化の終りのことですが、それは思考との同一化の終りであり、その時は本質的に断片である思考も道具として使うことができます。

自立するという言葉をどういう意味で使っていらっしゃるのですか?自立が断片化であるという論理がわかりません。


[23724] Re:[23712] [23710] 無題 投稿者:中西寛人 投稿日:2017/04/21(Fri) 22:00  

> Kが自立するなというのは私は聞いたことがありません。
云ってます。それが思考の終焉ですよね。


[23723] Re:[23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/04/21(Fri) 21:01  

> > > 執着というのは現象だと思うのですが、それが終わるのは完全な死であるということですね。
> > >
> > > 死はこの場合、肉体の死ではなく、象徴的な言い方での、自我の死のことでしょうか。
> >
> >  はい。
> >
> > > 過去のものが終わり、精神が無であるとき、継続でない新しい生が開ける。確かにこれがKの言っていることです。だが、これを心を無にして聞くことができないと、豚に真珠、馬の耳に念仏になりそうです。ここを突破できるでしょうか。
> >
> >  これは考えて突破することはできないように思います。
> >
> >  現にあるものを直に見るしかないように感じます。
> >
> >  現にあるものは関係の中でしか見えない旨、クリシュナムルティは述べています。
>
>
> 関係は万物との間に(無関心を含めて)あると言えますが、とりあえず人間の自他の精神的な関係としておきましょうか。
>
> Kは群れとしての人間を取り扱わないで(その場合統計的になりますね)、個体としての人間、すなわち私とあなたの話としていつも話します。
>
> ただし、聞く側の私は人間の代表としての存在でもあります。暴力の話を聞くとき、私は暴力など卒業していて関心がないといった思いで聞けば、そこにはよく聞くという事はないわけです。
>
> どうも人間は意志あるいは意向を持っていて好きなことをしたい、している時が楽しい、生きている時でないかという感じがします。
> そしてそのための資源(金・時間)を稼ぐためにはある程度機械的に労働する(生計を立てる)のも認めるということではないかと思います。
>
> 社会はその民衆の意向に沿うために組織され、経済的にうまくやろうとするが、民衆の間にも国家間にも矛盾、トラブルが絶えない。肝心の民衆の意向も、金もうけを企てる輩の掲げる餌につられて、自然性を失っている気もします。
>
> 以上の考察はただの妄想か、それとも、それはそれでいいからとして、どう先に進むかに進んでいいでしょうか?もちろん全く違う視点もあるよという事ならそれも皆さんにお伺いしたいと思います。


 先に進むことを諦める。

 諦めて、現にあるものと留まる。


[23722] Re:[23720] [23717] [23714] [23711] [23709] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/21(Fri) 16:54  

> > 恐怖の有無、なるほど。卓見だと思います。
> > ほかにも考えられるのかな…、例えば軍鶏などは一つのかごの中に入れてはおけません。ケンカしますから。闘魚もそうです。群れをつくる動物は、ボスはいるかもしれませんが、オスも共存していることもあります。妥協が許される、許されない、あるいは許さないという風なこともあるのでしょうか。
>
>
> 軍鶏のオスはどちらかが死ぬまで喧嘩をするそうですね。品種改良ってやつでそうされたのかもですが、生まれ持った性質として強い闘争心が標準というのはちょっと怖い気がしますね。

しかもその闘争心が自分の種の別の個体(オス同士とか)にのみ向けられるという事ですね。どうもこれは縄張り争いから来るのかな。メスは子供がいるから死を賭して戦うという風にはいかないのかな。子供のために、戦うというより努力してサバイバルする。

> 「断片化を終わりにできないのか?」
> 妥協出来ないのは、その考え方、思想を放っておくと自他が危なくなると感じる場合でしょうか。
> 終わらせた人は、他の人も「終わりにした方が良いよ」と語りかけるようですね。終わらせることは可能だとも考えるみたいです。しかしなかなか終わりません。
> 多くの手立てが考えられてきたようです。しかしKが話していたように、どれも上手くいったとは言えないんですね。
> 「救い」とか「悟り」「覚醒」「自由」などの意味も解らない。解ったら良いのかというとそうでもない。そもそもそういったものに興味も無い人が多数で誰もがそれに流されます。
> そのような現状を、何故かと見つめること自体が終わりの始めなんでしょうけどね。 けど、、それしかないですか。

オスはメスや子供ををサバイバルさせるために自分の命を犠牲にしても戦うのかな。
しかし動物行動学では種の保存というより、自分のためにの方が個体にとって優先すると言うのが主流になっているとか聞いたけれど。

どうもオピニオンリーダーが声の大きい、主張、闘争心の強いやつばかりだと碌な討論にならないという事がありはしないでしょうか?

この間「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」という映画の終りの方だけ見たのですが、アイスランド(人口32万人)の政治の世界では、リーマンショックの折に三つある銀行の二つが取り付け騒ぎになり、女性が怒ってゼネストになり、女性大統領になったそうです。それで代議士も官僚も男女の比率が40〜60%とという比率にする法律ができたそうです。

その理由は女性は実態のあるもので考えうのだそうです。男は実態のない理想や希望で動くのだそうです。それで上記の比率で議論すると雰囲気(=場?)が変わるのだそうです。取り付け騒ぎにならなかった銀行は女性が頭取であったそうです。
ただし女性が少数ならそれはお飾りか少数派になって意味がないそうです。場の変革がないのかな。これが世界の常識だそうです。日本でこの常識が実現したら世の中少しは変わるだろうと思います。アイスランドの行き先が気になりますね。


[23721] Re:[23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/21(Fri) 12:35  

> > 執着というのは現象だと思うのですが、それが終わるのは完全な死であるということですね。
> >
> > 死はこの場合、肉体の死ではなく、象徴的な言い方での、自我の死のことでしょうか。
>
>  はい。
>
> > 過去のものが終わり、精神が無であるとき、継続でない新しい生が開ける。確かにこれがKの言っていることです。だが、これを心を無にして聞くことができないと、豚に真珠、馬の耳に念仏になりそうです。ここを突破できるでしょうか。
>
>  これは考えて突破することはできないように思います。
>
>  現にあるものを直に見るしかないように感じます。
>
>  現にあるものは関係の中でしか見えない旨、クリシュナムルティは述べています。


関係は万物との間に(無関心を含めて)あると言えますが、とりあえず人間の自他の精神的な関係としておきましょうか。

Kは群れとしての人間を取り扱わないで(その場合統計的になりますね)、個体としての人間、すなわち私とあなたの話としていつも話します。

ただし、聞く側の私は人間の代表としての存在でもあります。暴力の話を聞くとき、私は暴力など卒業していて関心がないといった思いで聞けば、そこにはよく聞くという事はないわけです。

どうも人間は意志あるいは意向を持っていて好きなことをしたい、している時が楽しい、生きている時でないかという感じがします。
そしてそのための資源(金・時間)を稼ぐためにはある程度機械的に労働する(生計を立てる)のも認めるということではないかと思います。

社会はその民衆の意向に沿うために組織され、経済的にうまくやろうとするが、民衆の間にも国家間にも矛盾、トラブルが絶えない。肝心の民衆の意向も、金もうけを企てる輩の掲げる餌につられて、自然性を失っている気もします。

以上の考察はただの妄想か、それとも、それはそれでいいからとして、どう先に進むかに進んでいいでしょうか?もちろん全く違う視点もあるよという事ならそれも皆さんにお伺いしたいと思います。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]

処理 記事No 暗証キー
- LightBoard - Modified by isso