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[23720] Re:[23717] [23714] [23711] [23709] [23705] 生物とは 投稿者:想念狂 投稿日:2017/04/20(Thu) 20:11  

> > > > > 人間の断片化がすべての禍の元であるなら、それをなぜ人間は終わりにできないのか!、それがわからないのです。
> > > > > 人は何かの問題では統一行動をとります。しかし、別の何かでは火のように反発しあいます。これは何が働くのでしょうか?
> > > >
> > > > 実際のものではない何かの観念にアイデンティティとか信条として依存していると、観念には相対的に逆のものがあったりするので、それを持つ相手に反発するとかが起きてますね。
> > >
> > > そうですね。宗教はその典型的な例です。信者一人一人を見てくれている神、集会所と儀式、詠唱。これらは大きな心の安らぎを与えます。人々に求心力として働き、集団が形成されます。しかし日常生活に戻るとどうなるか? 異種の宗教集団との接触 が起こるとどうなるか? 何より一つの集団の中で分派抗争が起こるのはなぜか?
> >
> > 観念、概念等は皆で同じものを信望しようさせようとしていても、個人の事情によって必ず違って来ますよね。同じ言葉を使っていても、それによって思い浮かべるものには違いがあります。
> > 違っていて当然だと思う人と、違うことが我慢ならない人の違いは恐怖の有無でしょうか?
>
> 恐怖の有無、なるほど。卓見だと思います。
> ほかにも考えられるのかな…、例えば軍鶏などは一つのかごの中に入れてはおけません。ケンカしますから。闘魚もそうです。群れをつくる動物は、ボスはいるかもしれませんが、オスも共存していることもあります。妥協が許される、許されない、あるいは許さないという風なこともあるのでしょうか。


軍鶏のオスはどちらかが死ぬまで喧嘩をするそうですね。品種改良ってやつでそうされたのかもですが、生まれ持った性質として強い闘争心が標準というのはちょっと怖い気がしますね。

「断片化を終わりにできないのか?」
妥協出来ないのは、その考え方、思想を放っておくと自他が危なくなると感じる場合でしょうか。
終わらせた人は、他の人も「終わりにした方が良いよ」と語りかけるようですね。終わらせることは可能だとも考えるみたいです。しかしなかなか終わりません。
多くの手立てが考えられてきたようです。しかしKが話していたように、どれも上手くいったとは言えないんですね。
「救い」とか「悟り」「覚醒」「自由」などの意味も解らない。解ったら良いのかというとそうでもない。そもそもそういったものに興味も無い人が多数で誰もがそれに流されます。
そのような現状を、何故かと見つめること自体が終わりの始めなんでしょうけどね。 けど、、それしかないですか。


[23719] Re:[23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/04/20(Thu) 16:59  

> >  クリシュナムルティは執着の終わりが「死」と述べています。
> >
> >  あらゆる執着を終わっても、自我に対する執着はなかなか終わらない。
> >
> >  それが終わらない限り、思考は続く。時間は続く。
> >
> >  それが終わることを、クリシュナムルティは「完全な死」と述べています。
> >
> >  それがない限り、似たり寄ったりのようです。
>
>
> 執着というのは現象だと思うのですが、それが終わるのは完全な死であるということですね。
>
> 死はこの場合、肉体の死ではなく、象徴的な言い方での、自我の死のことでしょうか。

 はい。

> 過去のものが終わり、精神が無であるとき、継続でない新しい生が開ける。確かにこれがKの言っていることです。だが、これを心を無にして聞くことができないと、豚に真珠、馬の耳に念仏になりそうです。ここを突破できるでしょうか。

 これは考えて突破することはできないように思います。

 現にあるものを直に見るしかないように感じます。

 現にあるものは関係の中でしか見えない旨、クリシュナムルティは述べています。


[23718] Re:[23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/20(Thu) 10:41  

> > > > 一人一人の人間は統合された個体(個人)であり、生き物である。ここは多くの人が違和感なく受け入れてくれると思う。
> > > >
> > > > しかしさらに言うと呼吸器系、循環器系、消化器系などの組織があって、それらは自律的にその機能を果たしている。これらは生き物でないのかと問うとどうだろう。さらにその下には多くの種類の細胞があって、それらによってその系の機能が果たされているし、その細胞はさまざまにその生命を生きているのだろう。
> > > >
> > > > 逆に上に登ってみると、個人は集まって集団を作り、家庭とか、職場という組織・群で働き、それらは国家という統合体として世界の中で他の国家とわたり合って生存している。ここで家庭も職場も国家も統合や生存の継続に破たんが起こるのはそう珍しくはない。
> > > >
> > > > さて、この国家は生き物か、生きている一つの個体と言えるかというとどうだろう? 国論が二分されているという事はしょっちゅうあるので、あまり調和した統合体とは言えない気がする。
> > > >
> > > > なぜこう言うかというと、Kは5千年たっても相変わらず戦争しているという事はあまりにも悲惨ではないかと訴えているからです。
> > > >
> > > > Kは人間に対しても個人と呼べる統合された人間はまずいないで、分裂し断片化していると言っています。
> > > >
> > > > さて、人間以下の動物は、粘菌やウイルス、植物に至る生き物は統合されて調和した秩序ある生活をしているのでしょうか? 私は知りません。ただKは、人間を除けば、完ぺきな秩序のもとにあると言いっていると私は思います。
> > > >
> > > > 人間の断片化がすべての禍の元であるなら、それをなぜ人間は終わりにできないのか!、それがわからないのです。
> > > > 人は何かの問題では統一行動をとります。しかし、別の何かでは火のように反発しあいます。これは何が働くのでしょうか?
> > > >
> > > > それがはっきりしないと、対話を通じての共生が可能だとはとても言えません。自分の存在を根底から否定するものだと相手を認知するときの振る舞いに似たことが起きています。これは何だろう?
> > > >
> > > > 確かに生物はお互いを餌にして生きてきましたが、相手を絶滅させようとはしないでバランスのとれた生を営んできたと思います。
> > >
> > >
> > >  執着を終わらせないと、連続性を与えてしまいます。
> > >
> > >  恐怖・嫉妬・猜疑心は執着からもたらされる。分断・闘争の源となるところの執着。
> > >
> > >  もっとも執着する対象であるところの「ミー」。
> > >
> > >  自己関心が最大の関心事。
> > >
> > >  そのような執着を終わらせることなしに、統合はないのではないでしょうか。
> > >
> > >  そして、人類に対しての執着も終わらせる。
> >
> >
> > 自己の保存・継続は基本的にあります。呼吸は継続的に行う必要があります。食事はやはり必要で、とれば、しばらくの間は忘れて活動できます。
> >
> > 種の保存も一時期は基本的な欲求です。相手を得て子供を作り、育て、自活能力を身につけさせ、子の自立を図ります。群れをつくり、これらを共同して遂行します。しかし個人は個性を持っているのですが、まあ、ぶつぶつ言いながらも何とかやっています。
> >
> > >恐怖・嫉妬・猜疑心は執着からもたらされる。分断・闘争の源となるところの執着。
> >
> > 恐怖・嫉妬・猜疑心は他者に対する認識の不完全さから生じるのではないかと思うのですが? 理解が進むとそれらは勢いを失います。しかしこの人は嫌だなと直感的に感じるという事はあります。普通は距離を置いてあまり関係を持たずに暮らします。しかし職場やなんかの事情で離れられないときは困ります。この反発は何だろうとこの頃、私はずっと考えています。
> >
> > 執着ですが、執着も願望と同じで理想や信念のように実体のないものを希求している姿かなと思います。自己の永遠の継続ですね。これは自己の作り上げたイメージと言えると思いますが、思考がイメージを追求することがトラブルの元なのでしょうか?
> >
> > 思考が考えてイメージ、あるいはいろいろな観念を作り上げることは、それが観念であることがはっきりしていたらそれなりに意味のあることですが、それがトラブルになっては困りますね。
> >
> > 思考が思考することの意義をはっきり悟ることが重要でしょうか? あるいは思考が突っ込み過ぎるのはなぜなのでしょうか?そこらは単なる個性の揺らぎなのでしょうか?
>
>
>  クリシュナムルティは執着の終わりが「死」と述べています。
>
>  あらゆる執着を終わっても、自我に対する執着はなかなか終わらない。
>
>  それが終わらない限り、思考は続く。時間は続く。
>
>  それが終わることを、クリシュナムルティは「完全な死」と述べています。
>
>  それがない限り、似たり寄ったりのようです。


執着というのは現象だと思うのですが、それが終わるのは完全な死であるということですね。

死はこの場合、肉体の死ではなく、象徴的な言い方での、自我の死のことでしょうか。

過去のものが終わり、精神が無であるとき、継続でない新しい生が開ける。確かにこれがKの言っていることです。だが、これを心を無にして聞くことができないと、豚に真珠、馬の耳に念仏になりそうです。ここを突破できるでしょうか。


[23717] Re:[23714] [23711] [23709] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/20(Thu) 08:24  

> > > > 人間の断片化がすべての禍の元であるなら、それをなぜ人間は終わりにできないのか!、それがわからないのです。
> > > > 人は何かの問題では統一行動をとります。しかし、別の何かでは火のように反発しあいます。これは何が働くのでしょうか?
> > >
> > > 実際のものではない何かの観念にアイデンティティとか信条として依存していると、観念には相対的に逆のものがあったりするので、それを持つ相手に反発するとかが起きてますね。
> >
> > そうですね。宗教はその典型的な例です。信者一人一人を見てくれている神、集会所と儀式、詠唱。これらは大きな心の安らぎを与えます。人々に求心力として働き、集団が形成されます。しかし日常生活に戻るとどうなるか? 異種の宗教集団との接触 が起こるとどうなるか? 何より一つの集団の中で分派抗争が起こるのはなぜか?
>
> 観念、概念等は皆で同じものを信望しようさせようとしていても、個人の事情によって必ず違って来ますよね。同じ言葉を使っていても、それによって思い浮かべるものには違いがあります。
> 違っていて当然だと思う人と、違うことが我慢ならない人の違いは恐怖の有無でしょうか?

恐怖の有無、なるほど。卓見だと思います。
ほかにも考えられるのかな…、例えば軍鶏などは一つのかごの中に入れてはおけません。ケンカしますから。闘魚もそうです。群れをつくる動物は、ボスはいるかもしれませんが、オスも共存していることもあります。妥協が許される、許されない、あるいは許さないという風なこともあるのでしょうか。


[23716] Re:[23713] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/20(Thu) 07:43  

> 新しい芽さんが云ってても、間違ってるかも、知れないじゃないですか?

そうです。その通りです。新しい芽さんでもKでもです。
ただ思考が持ち場につくという言い方は、私は、新しい芽さんがそう言われたことがKで読むより多くあったのでこういう言い方になりました。
自分で言い切るというのは難しいですね。自分でしっかりと実感・理解していないと。
この実感・理解というのはrealizeの訳語として新しい芽さんが使っていらっしゃいました。後期にはよく理解するを使われましたが。


[23715] Re:[23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/04/19(Wed) 15:26  

> > > 一人一人の人間は統合された個体(個人)であり、生き物である。ここは多くの人が違和感なく受け入れてくれると思う。
> > >
> > > しかしさらに言うと呼吸器系、循環器系、消化器系などの組織があって、それらは自律的にその機能を果たしている。これらは生き物でないのかと問うとどうだろう。さらにその下には多くの種類の細胞があって、それらによってその系の機能が果たされているし、その細胞はさまざまにその生命を生きているのだろう。
> > >
> > > 逆に上に登ってみると、個人は集まって集団を作り、家庭とか、職場という組織・群で働き、それらは国家という統合体として世界の中で他の国家とわたり合って生存している。ここで家庭も職場も国家も統合や生存の継続に破たんが起こるのはそう珍しくはない。
> > >
> > > さて、この国家は生き物か、生きている一つの個体と言えるかというとどうだろう? 国論が二分されているという事はしょっちゅうあるので、あまり調和した統合体とは言えない気がする。
> > >
> > > なぜこう言うかというと、Kは5千年たっても相変わらず戦争しているという事はあまりにも悲惨ではないかと訴えているからです。
> > >
> > > Kは人間に対しても個人と呼べる統合された人間はまずいないで、分裂し断片化していると言っています。
> > >
> > > さて、人間以下の動物は、粘菌やウイルス、植物に至る生き物は統合されて調和した秩序ある生活をしているのでしょうか? 私は知りません。ただKは、人間を除けば、完ぺきな秩序のもとにあると言いっていると私は思います。
> > >
> > > 人間の断片化がすべての禍の元であるなら、それをなぜ人間は終わりにできないのか!、それがわからないのです。
> > > 人は何かの問題では統一行動をとります。しかし、別の何かでは火のように反発しあいます。これは何が働くのでしょうか?
> > >
> > > それがはっきりしないと、対話を通じての共生が可能だとはとても言えません。自分の存在を根底から否定するものだと相手を認知するときの振る舞いに似たことが起きています。これは何だろう?
> > >
> > > 確かに生物はお互いを餌にして生きてきましたが、相手を絶滅させようとはしないでバランスのとれた生を営んできたと思います。
> >
> >
> >  執着を終わらせないと、連続性を与えてしまいます。
> >
> >  恐怖・嫉妬・猜疑心は執着からもたらされる。分断・闘争の源となるところの執着。
> >
> >  もっとも執着する対象であるところの「ミー」。
> >
> >  自己関心が最大の関心事。
> >
> >  そのような執着を終わらせることなしに、統合はないのではないでしょうか。
> >
> >  そして、人類に対しての執着も終わらせる。
>
>
> 自己の保存・継続は基本的にあります。呼吸は継続的に行う必要があります。食事はやはり必要で、とれば、しばらくの間は忘れて活動できます。
>
> 種の保存も一時期は基本的な欲求です。相手を得て子供を作り、育て、自活能力を身につけさせ、子の自立を図ります。群れをつくり、これらを共同して遂行します。しかし個人は個性を持っているのですが、まあ、ぶつぶつ言いながらも何とかやっています。
>
> >恐怖・嫉妬・猜疑心は執着からもたらされる。分断・闘争の源となるところの執着。
>
> 恐怖・嫉妬・猜疑心は他者に対する認識の不完全さから生じるのではないかと思うのですが? 理解が進むとそれらは勢いを失います。しかしこの人は嫌だなと直感的に感じるという事はあります。普通は距離を置いてあまり関係を持たずに暮らします。しかし職場やなんかの事情で離れられないときは困ります。この反発は何だろうとこの頃、私はずっと考えています。
>
> 執着ですが、執着も願望と同じで理想や信念のように実体のないものを希求している姿かなと思います。自己の永遠の継続ですね。これは自己の作り上げたイメージと言えると思いますが、思考がイメージを追求することがトラブルの元なのでしょうか?
>
> 思考が考えてイメージ、あるいはいろいろな観念を作り上げることは、それが観念であることがはっきりしていたらそれなりに意味のあることですが、それがトラブルになっては困りますね。
>
> 思考が思考することの意義をはっきり悟ることが重要でしょうか? あるいは思考が突っ込み過ぎるのはなぜなのでしょうか?そこらは単なる個性の揺らぎなのでしょうか?


 クリシュナムルティは執着の終わりが「死」と述べています。

 あらゆる執着を終わっても、自我に対する執着はなかなか終わらない。

 それが終わらない限り、思考は続く。時間は続く。

 それが終わることを、クリシュナムルティは「完全な死」と述べています。

 それがない限り、似たり寄ったりのようです。


[23714] Re:[23711] [23709] [23705] 生物とは 投稿者:想念狂 投稿日:2017/04/19(Wed) 08:41  

> > > 人間の断片化がすべての禍の元であるなら、それをなぜ人間は終わりにできないのか!、それがわからないのです。
> > > 人は何かの問題では統一行動をとります。しかし、別の何かでは火のように反発しあいます。これは何が働くのでしょうか?
> >
> > 実際のものではない何かの観念にアイデンティティとか信条として依存していると、観念には相対的に逆のものがあったりするので、それを持つ相手に反発するとかが起きてますね。
>
> そうですね。宗教はその典型的な例です。信者一人一人を見てくれている神、集会所と儀式、詠唱。これらは大きな心の安らぎを与えます。人々に求心力として働き、集団が形成されます。しかし日常生活に戻るとどうなるか? 異種の宗教集団との接触 が起こるとどうなるか? 何より一つの集団の中で分派抗争が起こるのはなぜか?

観念、概念等は皆で同じものを信望しようさせようとしていても、個人の事情によって必ず違って来ますよね。同じ言葉を使っていても、それによって思い浮かべるものには違いがあります。
違っていて当然だと思う人と、違うことが我慢ならない人の違いは恐怖の有無でしょうか?


[23713] 無題 投稿者:中西寛人 投稿日:2017/04/18(Tue) 22:42  

新しい芽さんが云ってても、間違ってるかも、知れないじゃないですか?


[23712] Re:[23710] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/17(Mon) 10:15  

> Kは、自立するなって言ったんじゃないでしょうか。自立する事自体が断片化でしょう?

Kが自立するなというのは私は聞いたことがありません。
断片化しているという事は統合されていないという事でしょう? 統合されたら立派なまとまった個人、個体でしょう?

統合されるためには本来断片性を持つ思考が然るべき位置にいなければなりませんが(それをKは思考が静まってその持ち場に待機しているようなことを言っていたと思います。新しい芽さんがそう言っていました)、万人がそこにたどりつくという事はどうしたら起こりうるかがわかりません。


[23711] Re:[23709] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/04/17(Mon) 09:56  

> また少しお邪魔させてください。
>
> > 人間の断片化がすべての禍の元であるなら、それをなぜ人間は終わりにできないのか!、それがわからないのです。
> > 人は何かの問題では統一行動をとります。しかし、別の何かでは火のように反発しあいます。これは何が働くのでしょうか?
>
> 実際のものではない何かの観念にアイデンティティとか信条として依存していると、観念には相対的に逆のものがあったりするので、それを持つ相手に反発するとかが起きてますね。

そうですね。宗教はその典型的な例です。信者一人一人を見てくれている神、集会所と儀式、詠唱。これらは大きな心の安らぎを与えます。人々に求心力として働き、集団が形成されます。しかし日常生活に戻るとどうなるか? 異種の宗教集団との接触 が起こるとどうなるか? 何より一つの集団の中で分派抗争が起こるのはなぜか?

> 多くの人にとっては、他人と反発し合う可能性があってもそれは通常のことなので、問題にしません。断片化を終わらせようなどとは思わない、というか、圧倒的な勝者になることが終わらせることなのかもですね。

圧倒的勝者もいつかつぶれるのですが、永くその治世が続く組織と短命の組織があります。個人に分裂の要素があるのか、組織にその原因が内蔵されているのか、その辺から考えています。ひょっとすると統治者(複数)が平和な心で関係を持つことが重要かもしれない。それはどこから来るか?


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