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[26118] Re:[26116] 愛のエネルギー 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/24(Wed) 09:33  

> >いつもハートの愛のエネルギーが頭の自我を見守っている。これさえあれば私は生きていける、そう思えます。それが見ると微妙に繋がっている線でしょうか。
>
> 南方さんはすでに、クリシュナムルティの言ってることに理解されているようです。
> クリシュナムルティの言っていることは、結局は愛です。見る、理解、沈黙というのも、全て同じ意味。
> (ここでいう愛は、世俗的に使われる愛でないことは言うまでもありません。
>
> >いつもハートの愛のエネルギーに見守られている・・・。私はハートの愛のエネルギーという感じはわからないのですが、見ている状態にすこしはいったところにいます。
>
> ?
> わからない?ゴトさんからそういわれるのは不思議です。
> 気づきを実践しているなら、とっくに愛の境地に至っていると思いました。
> 見ている状態に、少し入った?
> というのもわからない。
>
> どうも、あなたの「見ている状態」というのは、私たちがやっている「見ている状態」と違うようですね。
> ひょっとすると、あなたのいう「見ている状態」というのは「ミニ悟り」ですか?
> だとすると、あなたと初めから話があわないことになる。

はい。私の言っている「見る」はミニ悟りです。観察者、あるいは思考者のいない見るです。判断のない見るです。
私はKの言う愛も、対象のない美も、これらと同じような沈黙も知りません。自分の中で働いてもいるかどうかわからないのです。


> > 大変よい対話をさせていたただいて有難うございました。、
>
> もう終わりですか。
>
> Kの記述の中で、強烈な気づきとありますが、これこそ愛感謝のエネルギーではないですか。

いとも簡単におっしゃるが、私には気づきにしろ何にしろそれが何かのエネルギーで推進されている事はわかっても、何のエネルギーかはわからないのです。内にエネルギーがあるとわかっても。

> その強烈なエネルギーは、南方さんが、言われるように、そのエネルギーは心理的思考を瞬時に消し去ってしまいます。
> 体験すればわかるのではないですか?

私にはエネルギーが一掃してくれるというよりは心理的思考の領域から出て見ており、起こることが瞬時瞬時よくわかるという感じでいます。これが全体的理解であり、自己の心理的中心の機構(ソフト?)を崩壊させるのだろうと推測しています。


[26117] Re:[26115] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/24(Wed) 08:41  

> ここまではいいです。問題は次
>
>
> >(実は無意識部分もちゃんと身構えているのですが今は除きます)。
>
> あなたは「無意識」と言う言葉をどのような意味で使っているのか?
> 地震が起きた時、実は無意識部分が身構えていると、言われますが、そんなことはありえません。
>
> 地震の予知能力があると言われる小動物たちは、地震をいち早く察知して逃げ出すことはありますが、人間はそういう能力はありません。
> 地震は突然やってくる。無意識部分が身構えることはありえない。

地震は揺れで気づくだけではありません、地鳴りの近づく形で予知というか知覚できます。南海大地震で知りました。

その後一度だけ散歩中に地鳴りのような、遠くを電車が走っているのかわからない知覚がありました。
すぐ立ち止まって聞いたのですがわかりません。しかしどうも違うようだと思って、散歩に戻ろうとしましたが、体はまだ聞いています。それでそのままにしていたらやっと動き出しました。無意識部分は意識部分より、事によっては慎重ですね。

> 道を歩いているとき、向こうからやってくる自転車を避けるのとは違う。危険を察知するのは知覚が確認するからわかるわけです。

知覚は無意識部分にはより早く伝わるようです。意識部分には少し遅れる。意識化に暇がかかるのかな? 私は釣りに行くときでも無意識部分というか身体全体の感じを見て、少しでも引っかかればやめるつもりでいます。


[26116] 愛のエネルギー 投稿者:無明 投稿日:2018/10/24(Wed) 08:27  

>いつもハートの愛のエネルギーが頭の自我を見守っている。これさえあれば私は生きていける、そう思えます。それが見ると微妙に繋がっている線でしょうか。

南方さんはすでに、クリシュナムルティの言ってることに理解されているようです。
クリシュナムルティの言っていることは、結局は愛です。見る、理解、沈黙というのも、全て同じ意味。
(ここでいう愛は、世俗的に使われる愛でないことは言うまでもありません。

>いつもハートの愛のエネルギーに見守られている・・・。私はハートの愛のエネルギーという感じはわからないのですが、見ている状態にすこしはいったところにいます。


わからない?ゴトさんからそういわれるのは不思議です。
気づきを実践しているなら、とっくに愛の境地に至っていると思いました。
見ている状態に、少し入った?
というのもわからない。

どうも、あなたの「見ている状態」というのは、私たちがやっている「見ている状態」と違うようですね。
ひょっとすると、あなたのいう「見ている状態」というのは「ミニ悟り」ですか?
だとすると、あなたと初めから話があわないことになる。


> 大変よい対話をさせていたただいて有難うございました。、

もう終わりですか。

Kの記述の中で、強烈な気づきとありますが、これこそ愛感謝のエネルギーではないですか。
その強烈なエネルギーは、南方さんが、言われるように、そのエネルギーは心理的思考を瞬時に消し去ってしまいます。
体験すればわかるのではないですか?



[26115] 無題 投稿者:無明 投稿日:2018/10/24(Wed) 07:54  

>まず実用的思考のことを言っているのではないことを確かめましょう。何か揺れるような感じがし、おや地震かなと疑い待機態勢に入る。

はいそうです。

>これは知覚が意識にのぼり反応しているので正常な働きです。

ここまではいいです。問題は次


>(実は無意識部分もちゃんと身構えているのですが今は除きます)。

あなたは「無意識」と言う言葉をどのような意味で使っているのか?
地震が起きた時、実は無意識部分が身構えていると、言われますが、そんなことはありえません。

地震の予知能力があると言われる小動物たちは、地震をいち早く察知して逃げ出すことはありますが、人間はそういう能力はありません。
地震は突然やってくる。無意識部分が身構えることはありえない。
道を歩いているとき、向こうからやってくる自転車を避けるのとは違う。危険を察知するのは知覚が確認するからわかるわけです。



[26114] 無題 投稿者:無明 投稿日:2018/10/24(Wed) 07:38  

>いえ、書くのが遅れましたが、いやな思考が起こるたびに、それを嫌だともだえるのではなく、ただ見ることはその種の心理的思考の言わば癖というか、造られたソフトを一つ一つ消している気がします。一度起きだすと進行は早い気がします。


 とても貴重なお話。とても参考になりました。

 ありがとうございます。


宮啓、何で礼を言うの?
関係ないでしょう。
これはゴトさんと南方さんの対話です。
おかしいな。
南方さんにならって、ゴトさんと疑問点を出して話し合ったらどうですか?
オタクは見ることはが出来ないんだから。まいったね。この人は。


[26113] Re:[26108] [26105] [26104] [26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:宮啓 投稿日:2018/10/23(Tue) 16:32  

> > 「判断解釈なしに見る聞く知覚する」とどうなるか、という期待は捨てて、ただそうである状態の事実が剥き出しになるということでいいですか?つまりただ「判断解釈してない」という事実がある。
>
> 今たまたまか、じーっと継続くしてかはともかくとして、ただ「判断解釈してない」で心理的思考を見ているという事実が起こっている。その意味は何かあるかというと、心理的思考の感情面、怒り、苦しみ、嫌な予見などなどが消えているという事です。で、それだけかというとそれがのちにまた思い出されて出て来ない、あるいは出てもそれほどのことががないということです。そしてさらに同種のことが起きてもそれが嫌な出来事しての程度が落ちているという事がわかります。つまりこの種の心理的思考が解消するという事が起こります。
>
>
> > 心理的思考とは自分を中心にした思考としていいですか?
> > 私が中心にある場合、正しく美しく考えることも心理的思考になってしまうのでしょうか?
>
>
> 私にとって問題になる思考は嫌な思いのする思考なのですが。
>
>
> > では心理的思考は無くならないけれども、その外側に立つことができるということですか?結局中心の「私」は無くならない?
>
>
> いえ、書くのが遅れましたが、いやな思考が起こるたびに、それを嫌だともだえるのではなく、ただ見ることはその種の心理的思考の言わば癖というか、造られたソフトを一つ一つ消している気がします。一度起きだすと進行は早い気がします。


 とても貴重なお話。とても参考になりました。

 ありがとうございます。



> レスも遅れたし、私が書き足りなくて少し話がかみ合わなくなったようで、さかのぼってレスしました。ではおやすみなさい。


[26112] 無題 投稿者:無明 投稿日:2018/10/23(Tue) 12:19  

嫌な思いが起きたら、起きたままにする。
その思いに、とらわれず、そのまま流す。
嫌な思いについて、いちいち考えない。
いちいち考えると肉体が感知して反応する。
快、不快というように。
嫌な思いが全然起きないということではない。


[26111] 肉体の反応 投稿者:無明 投稿日:2018/10/23(Tue) 11:45  

人間というのは、喜怒哀楽が起きる時、体に反応があらわれます。
喜びや悲しみはもちろん、怒った時、非難した時、如実に体にあらわれる。
人間の体というのは、様々な信号を出す。一番いい例は痛み。体の不調は何らかの症状によって訴えかける。
心もそうです。ショックな出来事があると、体はダメージを起こす。
まさに心身一如。

判断解釈なしに見る聞く知覚する、という大げさな言い方ではなく、その時起きた反応が見るだけでいい。反応を見る。
思考を見るというと、わけがわからなくなる。
思考によって起こした反応を見るということでいいのではないだろうか。わざわざ体が教えているのだから。
非難正当化するとき、肉体に明らかに変化が起こる。
反応というには肉体の反応。それは誰にも起こるもので、即座にわかることです。
思考を見る、思考を観察するというのは土台無理な相談。
座禅を組んで目を瞑る、そこで起きてくる思考を見る。それは可能。
しかし、目を開けて思考を見るなど不可能。
生活即瞑想という言葉は、かっこいいが現実に不可能。
肉体に起きた反応なら誰でも見ることが可能だということです。
ドキドキする。ムッとする。興奮する。あがる。


[26110] Re:[26109] [26108] [26105] [26104] [26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/23(Tue) 09:46  

> > > 「判断解釈なしに見る聞く知覚する」とどうなるか、という期待は捨てて、ただそうである状態の事実が剥き出しになるということでいいですか?つまりただ「判断解釈してない」という事実がある。
> >
> > 今たまたまか、じーっと継続くしてかはともかくとして、ただ「判断解釈してない」で心理的思考を見ているという事実が起こっている。その意味は何かあるかというと、心理的思考の感情面、怒り、苦しみ、嫌な予見などなどが消えているという事です。で、それだけかというとそれがのちにまた思い出されて出て来ない、あるいは出てもそれほどのことががないということです。そしてさらに同種のことが起きてもそれが嫌な出来事しての程度が落ちているという事がわかります。つまりこの種の心理的思考が解消するという事が起こります。
> >
> >
>
> なるほど構造は違えど結果は同じなのですね。私の場合ハートから溢れる愛のエネルギーに満たされ心理的思考が解消されています。
> 心の在り方は主観的なものですから、何もゴトさんのそれに合わせることもなく私のそれが絶対というわけでもない。
> ただお互いに至福を感じている。
>
> > > 心理的思考とは自分を中心にした思考としていいですか?
> > > 私が中心にある場合、正しく美しく考えることも心理的思考になってしまうのでしょうか?
> >
> >
> > 私にとって問題になる思考は嫌な思いのする思考なのですが。
> >
> >
>
> 最近嫌な思考というものがほとんど解消されました。
>
> > > では心理的思考は無くならないけれども、その外側に立つことができるということですか?結局中心の「私」は無くならない?
> >
> >
> > いえ、書くのが遅れましたが、いやな思考が起こるたびに、それを嫌だともだえるのではなく、ただ見ることはその種の心理的思考の言わば癖というか、造られたソフトを一つ一つ消している気がします。一度起きだすと進行は早い気がします。
> >
>
> いつもハートの愛のエネルギーが頭の自我を見守っている。これさえあれば私は生きていける、そう思えます。それが見ると微妙に繋がっている線でしょうか。


いつもハートの愛のエネルギーに見守られている・・・。私はハートの愛のエネルギーという感じはわからないのですが、見ている状態にすこしはいったところにいます。
 大変よい対話をさせていたただいて有難うございました。、


[26109] Re:[26108] [26105] [26104] [26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:南方 投稿日:2018/10/23(Tue) 08:42  

> > 「判断解釈なしに見る聞く知覚する」とどうなるか、という期待は捨てて、ただそうである状態の事実が剥き出しになるということでいいですか?つまりただ「判断解釈してない」という事実がある。
>
> 今たまたまか、じーっと継続くしてかはともかくとして、ただ「判断解釈してない」で心理的思考を見ているという事実が起こっている。その意味は何かあるかというと、心理的思考の感情面、怒り、苦しみ、嫌な予見などなどが消えているという事です。で、それだけかというとそれがのちにまた思い出されて出て来ない、あるいは出てもそれほどのことががないということです。そしてさらに同種のことが起きてもそれが嫌な出来事しての程度が落ちているという事がわかります。つまりこの種の心理的思考が解消するという事が起こります。
>
>

なるほど構造は違えど結果は同じなのですね。私の場合ハートから溢れる愛のエネルギーに満たされ心理的思考が解消されています。
心の在り方は主観的なものですから、何もゴトさんのそれに合わせることもなく私のそれが絶対というわけでもない。
ただお互いに至福を感じている。

> > 心理的思考とは自分を中心にした思考としていいですか?
> > 私が中心にある場合、正しく美しく考えることも心理的思考になってしまうのでしょうか?
>
>
> 私にとって問題になる思考は嫌な思いのする思考なのですが。
>
>

最近嫌な思考というものがほとんど解消されました。

> > では心理的思考は無くならないけれども、その外側に立つことができるということですか?結局中心の「私」は無くならない?
>
>
> いえ、書くのが遅れましたが、いやな思考が起こるたびに、それを嫌だともだえるのではなく、ただ見ることはその種の心理的思考の言わば癖というか、造られたソフトを一つ一つ消している気がします。一度起きだすと進行は早い気がします。
>

いつもハートの愛のエネルギーが頭の自我を見守っている。これさえあれば私は生きていける、そう思えます。それが見ると微妙に繋がっている線でしょうか。





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